幼年童話の名手、森山京さんがのこしたちょっぴりふしぎな童話絵本。
あるところにおじいさんとおばあさんがいました……といっても「山へ芝刈りに」「川へ洗濯に」とはなりません。
おじいさんは川へ魚釣りに、おばあさんは山へきのこをとりに出かけます。
川についたおじいさん。釣り糸を垂れますが、なかなか魚がかかりません。
「はて、これはおかしい」「きょうにかぎって、なんてこった」
ぶつぶつ言いながらも、弁当箱の中の大好物の玉子焼きのことを考えてにっこり。
お昼には早いが、半分食べて、あとの半分は残しておくことに。
ごろりと寝転び大あくびをしたのでしたが……。
一方、おばあさんもきのこが見つからず、早めのお弁当にしています。
半分食べて「あーあ、ちょいとひとやすみ」。
草の上へごろんと寝転んだのですが……。
ふいにおじいさんに聞こえてきたのは、子どもたち数人がカメをつついていじめる話し声。
カメを助けるかわり、子どもらに玉子焼きもおにぎりも差し出してしまいます。
お礼にとカメの背中に乗ることになったおじいさん。
浦島太郎のように水の底……ではなくて、空のはてへ!?
おばあさんもまた天女に出会い、いつのまにか天女の衣をまとって空へ。
おじいさんとおばあさんはどうなるのでしょうか?
どこかで聞いたことのある登場人物やシチュエーションが次々出てきます。
しかし想像どおりの展開にはならず、おじいさんとおばあさんは、それぞれ腰がぬけたり、青竹をすべり落ちたり。
さて、いったいこれらの出来事は夢なの? 現実なの?
お弁当の残りの半分は、いったい誰が食べるの……?
ささめやゆきさんのひょうひょうとした線、どこかあたたかい雰囲気の絵が、おはなしをよりいっそう、得も言われぬものにしています。
ささめやゆきさんが「これはげんだいのおとぎ草子」「真っ昼間にみるゆめのようで」「読んでゆくと心がホカホカ」するとメッセージを寄せているのですが、まさに納得です。
どのページにも挿絵があり、漢字にはすべてルビがふられ、小学生のはじめての1人読みにぴったり。
しかし一度読んだら、このおはなしの魅力の虜になってしまいそうなのは、大人も子どもも関係ありません。
日常から離れてほっと一息つきたくなったら、こんな「おとぎ草子」をぜひどうぞ。
おいしい玉子焼きをつくってお弁当を食べながら読んでみるのも、悪くないかもしれませんね。
(大和田佳世 絵本ナビライター)
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「おじいさんは山へ柴刈りに」? 「おばあさんは川へ洗濯に」? いえいえ、それは昔話のなかのこと。今を生きるおじいさんとおばあさんといっしょに、不思議でわくわくの場所へ出かけましょう。人はいくつになっても、はずむ心をとめられません。
編集者コメント
昨年急逝した、幼年童話の名手、森山京。その美しくやさしい言葉が紡ぐ物語は、時代を問わずいつまでも寄り添ってくれる。のこされた本作品は、森山京の真骨頂「生きる、を描く作家」がにじみ出ている。いくつになろうと、人はわくわくし好奇心をあそばせどこまでも笑えるのだ…。いつしか、そう読者は勇気づけられているだろう。ささめやゆきの絵がともし火となって応える。
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