聞こえてくるのは生きるものの息づかい 『ほっきょくで うしをうつ』 【NEXTプラチナブック】
「ガチャリ」
鉄砲に弾をこめ、わたしは一歩一歩近づいていく。こんなに大きな動物を撃ってもいいのか。でも、ここまできたら撃つしかない。一番近くのうしに狙いをつけ、引き金をひく。そのうしは……。
氷しかない、極限の地で旅する男が出会ったのは、ジャコウウシの群れだ。腹がへり、生きるためには狩りをするしかない。ところが、生きている姿を目の当たりにすると、心がぐらぐらと揺らぐ。その大きさを感じた瞬間、委縮してしまう。それでも男は必死にその緊迫した空気と対峙する。
探検家・角幡唯介の実体験をもとに描かれたこの物語。「殺さなければ生きていけない」。聞けば納得してしまいそうになるその言葉。けれど、実際に直面したとしたら。想像することすら簡単ではないその状況を、画家である阿部海太が大胆に描き出す。白と黒しかない世界に浮かびあがるのは、生きるものの息づかいと、命のやりとりの瞬間。読者はその迫力にたじろぎながらも、目が離せなくなってしまうのだ。
死をめぐる絵本「闇は光の母」シリーズの1冊として刊行されたこの絵本。忘れられない光景として、しっかりと記憶に刻みつけられていくのだろう。
(磯崎園子 絵本ナビ編集長)
「はらがへった……。どこかにえものになるどうぶつはいないか」極限の地で出会ったのは、ジャコウウシの群れだった。探検家・角幡唯介の実体験を阿部海太が大胆に絵本化。 ---------------------------------- 「10年前、私は食べるためにはじめて生きた動物を殺した。 そのときの鳴き声が今も耳にのこっている」
角幡唯介(探検家) ---------------------------------- 死をめぐる絵本「闇は光の母」シリーズ、 谷川俊太郎さんによる推薦文
死を重々しく考えたくない、かと言って軽々しく考えたくもない、というのが私の立場です。死をめぐる哲学的な言葉、死をめぐる宗教的な言葉、果ては死をめぐる商業的な言葉までが氾濫している現代日本の中で、死をめぐる文と絵による絵本はどんな形でなら成立するのか、この野心的な企画はそれ自体で、より深く 死を見つめることで、より良く生きる道を探る試みです。
谷川俊太郎 続きを読む
探検家が語る話だから実話でしょう。
でも、この絵本が描かれた理由について考えさせられました。
生きるための、食べるためには食糧は不可欠です。
だからといって、無抵抗のジャコウウシを撃ち殺すのは、人間のエゴに他ならないのではないかと思ってしまうのです。
しかも、このジャコウウシは出産したばかりの母牛であって、探検家派生まれたばかりの子牛まで撃ってしまいます。
きっと、悔いを残した事実として心に刻まれたのでしょう。
探検家は、母牛の肉を食べながら旅を続けます。自分には、この探検の意義が解りません。
10年前の記憶として、探検家が初めてジャコウウシを撃ち殺した実話を語る意味は何でしょう。
その後のことが、この絵本からは読みとれないので、未消化のままです。 (ヒラP21さん 70代以上・その他の方 )
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