かつて、命の危機にさらされていた子どもたちと、今、命の危機にさらされている子どもたち。その姿が重なる、悲惨な戦争を描いた本です。
主人公はふたり。ひとりはイギリスで株の仲買人をしている若者、ニッキー。もうひとりは、チェコスロバキアに住むユダヤ人の少女、ヴィエラ。
ヴィエラは10歳、両親とたくさんの猫に囲まれて暮らしていました。同じころ、ニッキーはクリスマス休暇に友人とスキーをするため、旅行に出かけるところでした。しかし、猫も、たのしい休暇も、彼らの手元から消えてしまいます。本来なら出会うはずのないふたりを結びつけたのは、ナチス・ドイツによる恐るべきユダヤ人大虐殺、ホロコーストの悲劇でした。
第二次世界大戦中、チェコスロバキアからイギリスへと669人の子どもたちを逃し、その命を救った『静かな英雄』と、そうして命を救われた少女が見た戦争を描く、史実に基づいた物語です。
『静かな英雄』ニッキーは、本名をニコラス・ウィントン。彼は仲間と協力して資金を集め、イギリス行きの列車を手配し、時には書類を偽造さえして、子どもたちをイギリスへ逃すために奮闘しました。そうして救われた669人の子どもたちですが、彼らの子どもや孫が、今では6000人になっているそうです。
重いテーマとはうらはらに、本作のイラストは詩的でメルヘンチック、カラーもさわやかです。しかしそうしたタッチで描かれる戦争の景色は、そのギャップのために、一層不穏なものとして目に映ります。
大勢の子どもたちを救いながらも、ニッキーはその功績について、長らく口を閉ざしていました。本書の終盤でみずからの行いについて語った言葉と、そして、チェコスロバキアを発つことができなかった、250人の子どもたちを乗せた9番目の汽車。ニッキーがなぜ『静かな英雄』として沈黙してきたのか、その気持ちを考えると、胸が締めつけられます。
また本作の内容は、本書発行の時点ではまだ解決の目処が立っていない、ロシアによるウクライナ侵攻とも重なります。これは歴史的な出来事ではなく、まさに今起きていることであり、この瞬間も大勢のヴィエラが助けを待っているのだとあらためて気づかされました。
子どもたちの未来を守るために行動した青年と、戦火に家族も故郷も奪われた少女。ある意味もっとも戦争を自分ごととして考えることのできる今の時代だからこそ、おすすめしたい1冊です。
(堀井拓馬 小説家)
続きを読む