ぼくのおばあちゃんは、もとはニワトリ小屋だった家に住んでいる。毎朝お父さんが、ぼくを車でおばあちゃんの家に送ってくれると、おばあちゃんは庭でとれた野菜がたっぷり入った朝食を用意してくれる。ぼくらはあまり喋らない。でも、ぼくがオートミールをこぼすと、そっとひろいあげ、それにキスをして、ぼくのおわんにもどす。おばあちゃんは、長いあいだ、食べるものがなくて困ったことがあったのだ。
それから二人は学校に向かう。雨がふると、おばあちゃんはゆっくり歩き、ミミズを探す。土をつめた小さなガラス瓶に入れ、学校が終わると、野菜を育てているおばあちゃんの庭に放つ。ふたりはいつもそうしてた……おばあちゃんがニワトリ小屋を出て、ぼくの家に来るまでは。
数々の賞を受賞した前作『ぼくは川のように話す』のコンビによって、再び生まれた心温まるこの絵本。著者であるジョーダン・スコットの祖母との思い出がもとになっているのだそう。
台所の窓から差しこまれる光の美しさ、畑の中で寄りそうように立つふたり、おばあちゃんを見つめるぼくの眼差し。シドニー・スミスによる、情感あふれるいくつもの印象的な絵を眺めながら感じ取れるのは、多くは語らなくとも通じ合うふたりの空気感。ポーランドからの移民であまり英語がうまくしゃべれなかった祖母と、言葉を発することに苦しんでいたであろう彼。ふたりにとって、この時間がどれだけ心地良いものだったのだろうか。
大切な記憶がそのまま閉じ込められているようなこの絵本。自分の中の懐かしい感情と結びつきながら、最後の場面に胸を打たれてしまうのです。
(磯崎園子 絵本ナビ編集長)
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数々の賞を受賞した名作『ぼくは川のように話す』のコンビによる心温まる絵本。著者であるカナダの詩人、ジョーダン・スコットの祖母との思い出がもとになっています。ポーランドからの移民で、あまり英語がうまくしゃべれないおばあちゃんと「ぼく」は、身ぶりや手ぶりで、そして、さわったり、笑ったりして、いいたいことを伝えあいます。言葉にたよらない二人の親密さを描くシドニー・スミスの情感あふれる絵が、懐かしい記憶を呼びさまして胸を打ちます。
ぼくのおばあちゃんは、もとはニワトリ小屋だった家にすんでいる。毎朝、お父さんの車でおばあちゃんの家にいくと、おばあちゃんは庭でとれた野菜をつかって、朝ごはんをつくってくれる。長いあいだ食べものがなくてこまったことがあるおばあちゃんは、ぼくが食べこぼしたオートミールをひろいあげると、それにキスして、ぼくのおわんにもどす。
雨の日には、おばあちゃんはゆっくり道を歩く。それはミミズをつかまえるため。ぼくたちは、つかまえたミミズをおばあちゃんが野菜を育てている庭にはなつ。いつも、二人でそうしていた。おばあちゃんがあの家を出るまでは……。
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