カエルくんは考えます。 「シジミの顔はどこにある?」 「ミミズさんの顔はどこ?」 「空って、どこから空なの?」 「ぼくはぼくだけど、ネズミくんもぼくなんだ?」 ネズミくんといっしょに、カエルくんは考えます。 普段はあたりまえだと思っていることも、考え出すと深いのです。
シジミの顔はどこ? ミミズに顔はあるの? と考えこむカエルくんとネズミくんのはなし「かお」のほか、「そら」「ぼく」の3編。コマ割り絵本とも呼べる斬新さで、ゆっくり笑えます。
我が娘は、アメリカ人の父と、私、日本人の母の間に生まれたこども。現在、アメリカに住んでいますが、日頃からの、日本の本の読み聞かせ効果もあって、日常会話は、日本語でも英語でも可能です。 これまで4年間、日本語、英語の本を読んでいて気がついたのは、英語は、文章自体が論理的に構成されていて、4歳の子供が話している会話すら、非常に大人っぽく聞こえる。 それに対して、日本語は、極めて曖昧な表現で会話が成り立つ。英語を直訳して日本語に変えると、妙によそよそしいのは、このギャップのせいなのだろう。
この春。日本を訪れた際、本屋で「かんがえるカエルくん」を手にして思ったのが、「なんて、日本的な本なの!」 絵本ナビをはじめとする、多くの本の紹介サイトで、この本について、「哲学的」というコメントを多く目にした。確かに、それもある。 しかし、4コマ漫画から構成される「かんがえるカエルくん」は、絵が、実際の言葉の数倍も何かを語っていて、かえる君とネズミ君の微妙な「間」も、話を進める重大な要素になっている。これは、論理的な構成のもとで成り立つ英語を、母国語とする人の脳では、理解しがたい話だ。 そういう点で、この本は、日本的な会話の成り立ちを学ばせてくれる、ユニークな絵本だと思う。 (エミリアーナさん 30代・ママ 女の子4歳)
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