7歳の娘に、フェアで知った賢治絵本のうちいくつかを「読んでみる?」
「あ、やまなしは、音読したから知ってる」
幼稚園の時、賢治の『雨にもまけず』を暗唱しましたが、論語や色んな詩の暗唱が大好きで国語塾にも通い始めた娘。
「やまなし」も読んだとは知らなかったのですが、まだ早いかな、と思った話が絵本のおかげですんなり入り込めたようです。
教科書にのっていたけど、この絵本ほど、水の中にいる気分に浸れるまでには、当時の想像力ではおぼつきませんでした。
ページをひらけた瞬間から、私のいるのは水の中。
最後、絵本を閉じるまで、どっぷり水の中。
「本はどこへでも連れて行ってくれる」という原点を改めて思い知らされました。
水の中に佇みたければ、この絵本の世界にさえ入り込めばいい。
「青光りのぎらぎらする鉄砲玉」その先が「コンパスのように」尖っている、といった表現を、小学生ながら言葉の呼び起こす鮮烈なイメージを感じたのを、思い出しました。
想像力だけでも、賢治の言葉の力からは、十分強烈な印象を与えられる文ですが(かわせみの下りに関しては、この絵本より昔の印象が上回っていたり)、全体的なイメージは、絵本の力はやはり大きく、小学生でも絵本を教科書代わりに使うセクションがあってもいいのにとふと思いました。
この間妹が遊びに来た時、そういえば「クラムボンって結局なんだった?」と何かのはずみで会話に上りました。
「クラムボン」
不思議な響き。
又三郎の「どっどどどどうどどどうどどどう」に並んで、ずっと忘れられない強烈な響き、改めて賢治の言葉の持つ力強さに感服です。