料理人のおばけアッチは、ドラキュラ城で出会った小さいおばけドッチをかつて弟だと思っていた。しかしドッチには家族があり、アッチは再び天涯孤独の身の上を思い知る。
そのドッチがレストランに訪ねてきた。働かせて欲しいという。報酬も欲しいという。寂しいアッチは、ドッチを従業員として使ってみるが、ひどい失敗をした上、都合が悪くなると逃げ出す始末。それを何度か繰り返しているが…
子どもが読む分には問題ないのだろうけど、兄弟間で明らかな贔屓を体験した私は、個人的に物申す。(その他→怒り)
作者はそんなつもりはないだろうが、私は個人的に、この話は、弱みのある独り者を、裕福で恵まれた境遇の人が利用する話だと感じた。「あの子はまだ小さいから…」「わからないだけだから…」「妹(弟)だから…」という言葉で、何度騙されてきたか! 「小さいから」「可愛いから」という理由で、本人がしでかした失敗を全面的に「お前の管理不行き届き」で責任を取らされて、怒鳴られ、殴られてきた子ども時代が蘇る。
また、最近流行りのオレオレ詐欺なんかとも通じるものが感じられる。
自分の立場だけが大事、自分の要求だけが大事で、相手のことを全く考えないふるまい。
たかだか絵本だと思いつつも、年下の行動はそれが何であれ全て我慢を強いられてきた子ども時代を過ごしたので、どうしても怒りを感じる。最終的には親にプレゼントするために働いていたことが判明するが、自分の親だけ幸せなら、他人は全員犠牲になっても構わないのか?
結局、こんな風に自己中心的に育てた親も責任がある。最後のページで、「よそで大迷惑をかけたことを全く知らない親」の姿に飽きれる。物語には書かれていないが、この後、親は「子どものために頭を下げてまわる」人生が待っているのか!?
それともモンスター化?
最近、家の外で明らかに他人に迷惑をかけている子どもを、全然注意しない親をよく見かけるけど、見ていると親も同じような感じ。ごみをその辺に放置する、子どもがイタズラしている側で無視してスマホに夢中。あまり子どもに関心がないし、他人の迷惑もどうでもいいみたいだ。親もその親にそうされてきたのだろうか。
「甘やかす親」「自己中心の子ども」など、今までいたるところにいて、過去にも未来にも絶対に存在し続けるものだと、わかっていても、妙に腹が立つ。
この絵本を読んでいて、他人を許せない自分の料簡の狭さを思い知った。これを読んで、我慢することが美徳だと勘違いしないで欲しい。ダメなものはダメだと注意できる人になりたい。
といいつつ、「小さい」「可愛い」「年下」という理由で、全てが許されておいしい思いをしている存在にもなってみたい。圧倒的に有利に人生が進むのか?…でも、老人になってそれが抜けず、だれにも相手にされてないのに、勘違いしたままというのも滑稽だ。
何となく憎めない存在で魅力があって許されているのと、親子という特定の関係だから許されているのは違うのだ。