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まだ早い…
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投稿日:2016/03/30 |
子どもへの読み聞かせによいと、いくつかの書籍で紹介されていて、わくわくして図書館から借りてきました。
まず一人で読んでみましたが、ひっかかるところがありました。
ひっかかる。なんとなく娘には読む気になれず、自分なりに何がひっかかるのか考えてみました。
まず最初の方に登場する「ちいさなおとこのこ」。この子はおそらく死んだと思われますが、扱いが軽すぎる。おとなのいうことを聞かなかったために、怖い目にあう子どもの話は他にもありますが、それにしても…。
しかもこの子は絵のどこを捜しても見つけられませんでした。文章にしか出てこない男の子には感情移入しにくいので、死んでもあまりかわいそうに思えず、焦点はシナのきょうだいになるからでしょうか?セリフまである登場人物が、絵に描かれない絵本を読んだことがなかったので不思議でした。
もうひとつは、一ばんうえのにいさんが、魚をとるために海の水を全て口に含むところ。その絵はまるで惨劇。とりすぎです。他に漁師がいたとしたらかなりの迷惑行為です(考えすぎですか?)。
にいさんから魚を買うしかない(しかも『たかく』売れてたそうですから)村人が、ちいさいなおとこのこの失踪以前から、一ばんうえのにいさんに恨みを持っていたとしてもおかしくないな、と思いました。
とはいえ、長く読まれ、選定図書にもなっているので私の印象だけで娘に読まないというのはよくないかなあと悩んでいたので、みなさんのレビューがとても参考になりました。小学生くらいなら楽しめるというご意見があったので、我が家もそれまで待ってみようと思います。
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いろんな解釈ができる
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投稿日:2016/03/30 |
長く読み継がれてきている…と知って、図書館で借りてきました。
自分でぱらぱらとめくっていた娘は、黒一色の絵を見てひるんでいました。
怖がりで、『暗い=怖い』と感じる娘の抵抗を取り去ろうと、「ねこちゃんがいっぱい出てくる絵本読もうよ」と明るく誘い掛け、明るい気持ちで読み聞かせしました。
…というのも私自身、表紙を見て、中身を見て「怖い」と思ってしまいました。
読み聞かせするべきかどうか悩んで、ここで皆さんのレビューを読んだり他のサイトの感想などを読んで、「こういうのもありかなあ」と読み聞かせしてみることにしました。
絵は暗いものの、描かれているものは明るい表情や風景。ねこを次々拾っていく話はユニーク。楽しい雰囲気で読みました。だけどラストは…どう読もうか迷いました。
そこで私なりに、こう考えてみました。
実はこれは、おじいさんとおばあさんが誰かに語った作り話。
拾ってきた(みすぼらしい)ねこを、例えば遊びにきた孫に「なんでもっとかわいい猫を拾ってこなかったの?」と指摘されて、「ばかいっちゃあ、いけないよ!この猫をひろってきたのにはこんな理由があったんだよ。いいかい…」と話し始める。
幼い子供でもこれだけ大量の猫がでてきたら作り話だとわかる。
聞き手が「嘘だあ!じゃあその一ちょうひきの猫は今どこにいるのさ?」と言い、にんまり笑ったおじいさんが「それがね、食べっこしちゃったのさ」とオチをつけるような。
聞き手の子どもが「うそだあ〜!きゃはは」と笑うのが想像できる。
いける。これなら楽しい雰囲気で読める!と、最後まで楽しく読み聞かせしました。
(あくまで私の頭の中での話で、実際には本文に忠実に読みました。)
読み聞かせた結果、娘はもう一度とは言いませんでした。
私も意見もなにも言わず、さらっと読み終えて図書館に返しました。
読んだことがないと手に取りづらい絵本に思えたので、読み聞かせしてよかったと思います。
何年後かに、娘が図書館等でこの絵本を見つけたとき、「読んだことがある」と気づいて手に取ってくれたら…この絵本について意見を語り合いたいなと思いました。
他の方も書かれていましたが、何度も繰り返される長い長い言葉「とても としをとった おじいさん(おばあさん)」や、「ひゃっぴきの ねこ、せんびきの ねこ、ひゃくまんびき、一おく、一ちょうひきの ねこ」というのには正直…。原文に忠実に訳されているのでしょうか。素人考えで恐縮ですが、読みながら必要ないなあと思ってしまいました。(だいいち題名は『ひゃくまんびきのねこ』ですもんね?)
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だれかさんにそっくり
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投稿日:2016/03/30 |
すごく人気のある絵本のようですし、いろんな賞もとっているし…と図書館借りてみました。
でも読む以前から勝手に「これは男の子向けの絵本だ」と考えていて、娘に読み聞かせるつもりはなく(きっとかいじゅうの絵を怖がるし)、自分だけで読むつもりでした。
自分で読んでみた結果、なぜ人気があるのかわかりませんでした。
絵が怖いし、母親として、なんというか…嫌な感じを受けました。
これは読み聞かせせずに返そうと思いました。
なのに…図書館に返そうと積んであった絵本を、娘が寝る前に引っ張り出してきた!怖がりなくせに!寝る前に怖がってぐずったら嫌だなぁ…と思い、散々止めましたが聞かず、仕方がなく「怖かったら読むのやめるから言ってね」と念押しして読み聞かせしました。
結果、3度も繰り返して読むことになりました。翌日も翌々日も。
娘がわからない。何が気に入ったの?
娘に読み聞かせするうちに、私もこの絵本をちゃんと読むようになりました。
何度も読みながら、いろいろ考えるようになりました。
そして気づきました。
娘は時々、遊びのなかで、自分のぬいぐるみを叱っています。
叱る内容は、実際に自分が私に叱られた内容そのまま。
微笑ましいと思うか、嫌な感じを受けるかはその時の私の気分次第。
「まあまあ、なんでも真似したい年頃だし、叱られた内容をしっかり覚えているのはいいことじゃない?」と笑っていられるときもある。
でも、母親の皆さん!わかりますよね!
「おほほ…」と顔で笑っていても、内心は「ぐぬぬ…」(笑)
たいていイラッとするんです!
私は無意識のうちに、マックスと自分の娘を重ねてみていたみたい。
(だから嫌な感じがした…イラッとした)
一方で娘は、マックスのやりたいことがすごくわかるに違いない。
(だからお気に入りになった…共感している)
「この、かいじゅう!」と叱られたマックスは、本物のかいじゅうに会いに行き、えらそうに命令し、罰まで与える。母親である私は「ちょっとマックス、かいじゅうたちは何か悪さしたの?」と聞きたくなる。「叱られていたのはアナタでしょう?」と。
そんなことはマックス(うちの娘も)おかまいなし。
「だって、真似っこだし」と言い返してくるにちがいない。
そして無実の罪で叱られて罰を与えたかいじゅう(うちの娘はぬいぐるみ)をアッサリ片付ける。だって、おなかがすいたから。
母親である私はイラッとする。
でも夕ご飯は用意するのだ。プリプリ怒りながら。
母子の立ち位置が、これほど絵本の印象にズレを与えるなんて!
名作です。
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娘にオチを教えられました。
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投稿日:2016/03/26 |
長く愛されている絵本だと知って、図書館で借りてきました。
3歳の娘には…ちょっとまだ早かった?
設定が(おそらく)寄宿学校というところから「???」。「ほら、『くまのがっこう』みたいなところだよ」と説明すると、「ああ」とわかったようなわかっていないような…ミス・クラベルと何度も「お母さん」だと言い「子どもがたくさんいるねえ」と。ミス・クラベルの服も気になって仕方がない様子。
テンポよくリズムよく話が進むので、私は話に引き込まれるのだけれど、娘は「ふっても」「てっても〜」から動物園まで、すべて1日のできごとだと思って「ずいぶんとおい動物園まできたねえ!」。(娘曰く、「だって家に帰ってないもん!」)
そんな風にとんちんかんなまま読み進めていると、マドレーヌをお見舞いに行くところから娘が食いつき始めた。おもちゃいっぱい、お菓子まである病室に夢中になり、ベッドのハンドルを回して遊ぶ女の子に共感。傷をみせるところなんて「気持ちわかる〜!」(どんなにちっちゃい切り傷にも傷テープを貼りたがり、見せびらかしに来る娘ならでは…)
お見舞いに行った日の夜、皆が夜中に騒ぎ出すところ、私は「みんな、マドレーヌがかわいそうで、一緒に病院にいてあげたかったんだなあ」なんて考えていました。ところが…娘は「みんなおもちゃで遊びたいんだよ!さっきさあ、おもちゃもおやつもあったでしょ?」。
内心で「ええ?そんな…」と思って娘とページを戻ってみると…確かにパンを食べる場面、歯を磨く場面、寝る場面、すべて『悲しんでいる』というよりは、どちらかというと『ふてくされている』表情。
娘も「パン食べたくないんだよ。キャンディーの方がいいんだよ」
最初から素敵な絵、素敵な話で、すっかり感化されていた私。まさか最後にオチがあるなんて思いもしなかった。私の頭はすっかり固くなっているなあと反省。長く愛される理由がわかりました。
前半部分がほとんど理解できていない娘。間をあけてまた読んだとき、もっと他の部分も気づくかなあ…と購入を決意。
…ところでお見舞いから帰った夜、パンを食べる場面で12人も女の子がいるのはなぜ?他の場面はマドレーヌ以外の11人の女の子なのに。何か意味があるのかな?
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楽しくなっちゃう
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投稿日:2016/02/26 |
保育園に通い始めてから半年以上たって、娘が自宅で「おまけのおまけのきしゃぽっぽ〜」と歌い始めるようになった。私の知らない歌。どうやら保育園で覚えてきた様子。でも普通の歌ではなく、園児同士が同じおもちゃのとりあいになった場合に、間を取り持つために先生が歌うらしい。歌の最後「おまけのおまけのきしゃぽっぽ!」まで歌うと、次の子におもちゃを貸さないといけないそう。
半年以上たってから、初めて知ったこと。
一人っ子で自宅ではすべてが自分のもの。自分が夢中になっているものを、うばいに来る相手はいない。娘は納得いかなかったのだろう。
なぜ保育園では、おもちゃを自分だけで使えないのか。
なぜ「おまけのおまけのきしゃぽっぽ」で、次の子に貸さなければいけないのか。先生や、自分以外の子どもは「おまけのおまけのきしゃぽっぽ」の使い方をを知っている。自分は知らない。なんだか疎外感。
黙っていた半年間、娘は自分の中で葛藤していたのだと思う。
いやだ。腹が立つ。おもしろくない。
…でも、ちょっと気になる。
連絡帳に、「年下の子におもちゃをとられて怒りましたが、『しょうがないなあ』と言って気持ちをすぐに切り替えられるようになりました。」と書かれて2週間後、自宅で「おまけのおまけのきしゃぽっぽ」と歌い始めるようになった。
「その歌、なあに?」と私が聞くと、娘はにやっと笑って「『おまけのおまけのきしゃっぽっぽ』でね、貸してあげるの!」と。
この子は一歩踏み出したんだと気づいた。
そんな時期に読んだ『たんぽぽはたんぽぽ』。
今の私の心にすっと入ってきた。
私には、ある集団内でルールとされているものに、新参者が参加していく話に思えた。
「たろうはたろう」…『きみの得意技を見せてよ!』
に、恥ずかしがりながらも応じた太郎くん。
腹立ちながらも、おもちゃをお友達に貸した娘が重なる。
さらに「すずめはすずめ」とリレーした。
今では娘も、新しいお友達の前で「おまけのおまけのきしゃぽっぽ!」と歌い、得意げにおもちゃを貸すのだろう。
抵抗を乗り越え、集団のやりかたに従ってみる。
それは仲間になりたいという、気持ちの表れ。
家庭以外で、娘が自ら作った、自分の居場所。
この春、娘は保育園を出て、幼稚園に行く。
「たろうはたろう」「おまけのおまけのきしゃぽっぽ」
幼稚園では、どんなルールを覚えてくるのだろう。
私は思いを巡らせるだけ。
娘には娘の世界が広がっている。
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