名だたる画家から気鋭の若手まで、たくさんの絵本作家が参加しているミキハウスの「宮沢賢治の絵本」シリーズ。刊行30点目となる『鹿踊りのはじまり』は、『オオカミがとぶひ』(イースト・プレス)で絵本作家デビュー以来、数々の賞に輝くミロコマチコさんによって描かれました。
自作絵本でつぎつぎと新しい世界の表現に挑んできたミロコさんが、宮沢賢治の作品に絵を描くにあたっては、どのような思いがあったのでしょうか。同シリーズ編集者の松田素子さんも同席くださり話を伺うことができました。
白い炎のように輝くすすき野原で、嘉十は自分の耳を疑った。 それは、聞こえるはずのない鹿のことばが聞こえてきたからだ! 自然と人との交信が、東北の言葉とともにユーモラスに神々しく語られる。
●描きはじめてから情景の美しさに心がふるえた
───最初に『鹿踊りのはじまり』を描きませんかと声をかけられたのは、いつ頃だったのですか?
もう6、7年前です。1冊目の絵本『オオカミがとぶひ』が出たばかりくらいのときだったかなと思います。松田素子さんからお電話をいただいて、喫茶店でお会いしました。それから次に会ったときに、『鹿踊りのはじまり』を描くことを決めたと思います。
松田さんからはいくつか作品をあげていただいたんですけど、『鹿踊りのはじまり』を読んですぐ情景が浮かんだんでしょうね。これなら描いてみたいなと思いました。
───2012年の絵本デビュー作『オオカミがとぶひ』で、翌年の日本絵本賞大賞、2014年『てつぞうはね』(ブロンズ新社)で講談社出版文化賞絵本賞、同年『ぼくのふとんは うみでできている』(あかね書房)で小学館児童出版文化賞を受賞と、自作絵本で高い評価を得ているミロコさんが宮沢賢治の作品に絵を描くというのは、ちょっと気構えるような感じはありませんでしたか。
「本当に描けるかな」という多少の不安はあったかもしれませんが、それよりもお話をいただいた喜びのほうが大きかったです。
「宮沢賢治の絵本」シリーズには、大好きな作家さんがいっぱい参加していますし、宮沢賢治の世界を絵本にすることに挑んでいるすごいシリーズだと思っていたので、「私もこのシリーズに携われるんだ」とうきうきする気持ちでした。
───読んで最初に情景が浮かんだのはどのあたりですか?
はじめは、鹿同士のこっけいなやりとりや、手ぬぐいの匂いをかいだり飛び上がって逃げたりという鹿の動きが、目に見えてくるようだなと思って印象に残りました。鹿たちの動きや感情を、絵本の展開で見せていくのはおもしろそうだと思いました。
───臆病そうな鹿がいたり、調子にのって手ぬぐいをなめてみる鹿がいたりと、登場する鹿たちの性格もそれぞれちがいますよね。
人間である嘉十が、鹿の言っていることが急に聞こえるようになったあとの、鹿の世界を描くにあたっては、6匹の鹿をどう描き分けるか考えながら描きました。最初は鹿のやりとりのおもしろさばかりに目が行って、作品に書かれているまわりの情景の美しさに気づいていなかったんですよね。
実際にどんなふうに絵を描こうかなとラフを作りはじめたとき、はじめて情景の美しさに気づきました。
───生き物を魅力的に描かれるミロコさんだから、鹿がきっといきいきと描かれているだろうなと楽しみにしながら絵本を開きました。でも、鹿の絵にたどりつく前に、まず冒頭のすすきがたなびく夕陽の野原の美しさに衝撃を受けました。
『鹿踊りのはじまり』には美しい場面が、何枚も描かれていますよね。ミロコさんがとくに美しいと思われたのはどの場面ですか。
物語の最初から最後まで、ずっとですね。日がかたむいていく様子や、それにすすきが輝きを増していく……つねに移り変わっていく情景が、鹿や嘉十の動きのうしろに、こんなにも美しく存在していたのか!と、描けば描くほどその美しさに心がふるえました。
鹿たちがおそるおそるさぐっていた手ぬぐいを、とうとう踏みつけて、嘉十が残したお団子を食べたそのあとからの情景……。鉄の鏡のように輝くハンノキと、その向こうの太陽にむかってうたう場面、最後に鹿が逃げていく情景の美しさといったら……。
もしもはじめから気づいていたら、描くことを引き受けられなかったんじゃないかと思うくらいです。こんなに美しい世界が、賢治の言葉で書かれていたのに、絵を描くまで気づかなかったなんて、なんて残念な人だろうと自分のことを思ったくらいです(笑)。