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インタビュー

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2019.08.08

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東京大空襲を生き延びた少年が語る真実とは…『焼けあとのちかい』半藤一利さん 塚本やすしさんインタビュー

昭和史、太平洋戦争の研究や著作で知られる作家、半藤一利さんの、東京大空襲の体験を描いた絵本『焼けあとのちかい』(大月書店)が出版されました。
絵は、『やきざかなののろい』や『とうめんにんげんのしょくじ』(共にポプラ社)などのユーモラスな絵本が人気の塚本やすしさんです。
半藤さんがご自身の体験を絵本という形にして伝えたかったことはなんでしょうか? 
半藤さんと塚本さん、そして編集の森幸子さんに、お話をうかがいました。

  • 焼けあとのちかい

    出版社からの内容紹介

    「戦争だけは絶対にはじめてはいけない」

    日本の戦争に向き合い、戦争の過程を精緻に解明してきた半藤一利。その原点は中学2年で体験した東京大空襲だった。
    開戦から日に日に苦しくなる下町の生活。そして3月10日。猛火を生きのびた半藤少年は焼けあとでちかった。
    半藤一利の初の絵本を描くのは、大胆な画風で注目を集める絵本作家・塚本やすし!

    小学校中学年以上向け。
    小学校3年生以上の漢字にルビ。用語解説の注あり。

向島の「地の縁」が繋がって生まれた、半藤一利さんの初めての絵本

──『焼けあとのちかい』は、半藤さんにとって初めての絵本になりますが、できあがった絵本を手に取ったときはいかがでしたか?

半藤:この絵本だけは、いつ手元に来るのかと、心待ちにしていましたね。私は山ほど本を出版してきました。活字の本は、できるまで散々ゲラを読むので、見本が完成する頃にはいつも飽きてしまっているんです。でも、この絵本だけは違った。ページを開くのも楽しみでした。おっかなびっくり開きましたよ。

文章を担当した作家の半藤一利さん

──空襲で焼け出された半藤さんの実体験を、中・高校生向けに書いた体験記として『15歳の東京大空襲』(ちくまプリマー新書)があります。簡潔でわかりやすい文章ですが、約150ページというボリュ−ムのある内容ですね。今回「絵本を作ろう」と思ったきっかけはなんでしたか?

塚本:編集の森さんから、「戦争の絵本を作りたい」という相談を受けたのがはじまりでした。僕は2014年に『せんそう 昭和20年3月10日 東京大空襲のこと』(東京書籍)、2015年に『戦争と平和を見つめる絵本 わたしの「やめて」』(朝日新聞出版)を出していたので、フリーランスの編集者である、藤代勇人さんを誘って、どんな絵本にするか3人でアイデアを出すことにしたんです。
その話し合いの中で、藤代さんから「半藤さんの『15歳の東京大空襲』がすばらしい」という話が出て、ぜひとも絵本にさせていただきたいということになりました。

絵を担当した塚本やすしさん

森:そこで2018年の11月に、私から半藤さんへお手紙を差し上げました。
どうやって絵本にするかイメージしていただけるように、『せんそう 昭和20年3月10日東京大空襲のこと』、『戦争と平和を見つめる絵本 わたしの「やめて」』など、ほかの出版社から出ている塚本さんの戦争関連の絵本を数冊同封したんです。そうしたら、すぐにお電話で「いいですよ」とお返事をいただけて。

編集を担当した大月書店の森幸子さん

半藤:『15歳の東京大空襲』が発売されたのは2001年だから、もう15年以上前ですね。
中・高校生向けに書くのがとても難しかったのを覚えています。でも、それに目をつけて、それをもとに絵本を作るというんだから驚きました。しかも、塚本やすしさんが絵を描くという。

──塚本さんが戦争について、しかも東京大空襲についての絵本を出していることは知っていましたか?

半藤:実は、『せんそう 昭和20年 東京大空襲のこと』を出版した東京書籍の編集者は、昔からの知り合いなんです。あるとき、彼から「東京大空襲のことについて書いてある絵本で、先生も体験したやつだから読んでください」と送られてきたのが『せんそう 昭和20年 東京大空襲のこと』でした。だから塚本さんのお名前は知っていたんですよ。そういえば家に絵本があったなと引っ張り出してきて見て。「ああ、この方か。出てくる子どもがみんな丸い顔だ」と思って。

塚本:後日、半藤さんの奥さまから「うちの主人はもっと四角くて、面長なのよ」と言われましたね(笑)。

半藤さん、塚本さん、森さんを繋げた本たち

半藤:もし先に絵本を見ていなかったら、お手紙をもらったときに「どんな絵描きさんかわからないから…」と渋ったかもしれません…。『せんそう』は、お母さんのおはなしが元になっているでしょう。歴史探偵的に推理しますと、塚本さんのお母さんは押上生まれですよね。私の家は、押上からちょっと入ったところなんで、同じ生まれだと。

塚本:ご近所ですよね。もしかしたら当時、母と半藤さんはどこかですれ違っているかもしれないです。

半藤:もしかしたら、塚本さんや森さんたちが私の本に目をつけたのは、私と塚本さんのお母さんが同じ郷里生まれだからかなと思ったんですね。お母さんとはいくつも違わないだろうし。

塚本:東京大空襲は、母が6才のときだったと聞いています。

半藤:じゃあ空襲のときは、お母さんはうんと子どもだったんだね。とにかく、そういう意味では、私と塚本さんには、地の縁があるんですよ。だから、二つ返事で喜んで応じたんです。

塚本:ありがとうございます。半藤さんとは世代が違いますが、僕は生まれも育ちも、今住んでいる所も墨田区なんです。小さいころから、僕が食べ物を残したりすると、母が決まって言うんですよ、「戦争のときは食べるものもなかったんだから、食べなさい!」。なにか悪さしても「戦争のときは?」と、毎日怒られる度に戦争の話が必ず出てくるんですよ。
その記憶がずっとあって、絵本作家になって、せっかく墨田区に住んでいて、東京大空襲を経験した母がいるんだから、絵本として残しておいた方がいいかなと考えて、『せんそう』を作ったんです。

半藤:私は絵本づくりについて全然知らないから、任せるしかないと思っていました。「どうぞ自由にやってください」と。だから正直言うと、こんなにすばらしくて、私の一番楽しい本になるとは思いませんでした。実はね、絵本にしてもいいと思ったのは、私のある経験もあるんです。

──どんな経験ですか?

半藤:私が『文藝春秋』にいたときに、3ヶ月だけ女子大の非常勤講師として、教壇に立ったことがあったんです。今から30年くらい前ですか。
今の若い世代の人がどんなことを考えていて、どんな知識を持っているのかを知りたくて、毎回授業のおしまい10分間のアンケートに協力してもらったんです。そこで「太平洋戦争に関する10の質問」というのをやって、第一問目に「日本と戦争しなかった国はどこでしょう」という問題を出したんです。答えは4択で、「アメリカ、ドイツ、旧ソ連、オーストラリア」としましたが、50人中13人が「アメリカ」に丸をつけたんです。授業で私の話を聞いていたにもかかわらず…。びっくりしました。

──そうだったんですね。

半藤:でも、別のアンケートで、「ナチスドイツのヒトラーについて、知っていることを書いてください」と出したときには、50人中48人が正しい答えを書いていたんです。
アメリカと日本が戦争したことを知らない人が13人いたのに、どうしてヒトラーのことはほとんどの人が知っているのかと理由を尋ねたら、「映画の『シンドラーのリスト』を観たり、『アンネの日記』を読んだり、手塚治虫さんの『アドルフに告ぐ』という漫画で知った」というんです。私は活字信奉で、映像や漫画を侮っていたんですが、若い世代はそういうところから知識を得るんだとよくわかって。だから「絵本にしたい」と話が来たときに、渡りに舟だと思ったんです。

──森さんは、半藤さんに快諾していただけると思っていましたか?

森:本当にお受けしていただけたらうれしいなと思っていましたが、お手紙を出してすぐにお返事をいただけるとは思っていなかったですね。

──お互いに良いタイミングでの巡り会いだったんですね。

「人物」を際立たせて文章を読んでもらう絵の工夫

──絵本づくりは、塚本さんが中心になって進めたのでしょうか?

塚本:自分の絵本を作るときは、7割方僕がデザインをしているんですが、今回は、文章を整えるのは藤代さん、デザインは装幀家の宮川和夫さんにお願いしました。
この作品は半藤さんの絵本なので、各方面のプロの方の客観的な目で見ていただくのが良いと思ったんです。

半藤:塚本さんがすごいところはね、私が返事をしてから、絵を見せてもらうまで、随分早いんですよ。

塚本:綿密なタッチの絵だったら時間がかかると思いますが、今回のような絵柄だと早いんです。すべてのページを2ヶ月くらいで描きましたね。

森:半藤さんにご挨拶する前に、塚本さんにラフを描いていただいたんですが、そのラフ画のおじいさんが半藤さんにとてもよく似ていたのには、びっくりしました。

塚本:その時点では、半藤さんの似顔絵を描いたわけではなく、あくまで戦争体験を語るおじいさんのイメージだったんです。実際にお会いして、さらにちょっとご本人に似せようと思いました。

絵本は、現代の半藤さんが当時の出来事を語りはじめるという導入から始まる。三輪里稲荷神社は今もあり、塚本さんは絵を描くためにロケハンにも行った

──先に描かれた『せんそう 昭和20年3月10日 東京大空襲のこと』もそうですが、人物に肌の色を入れていないのには、理由があるのですか?

塚本:普通の絵本は「絵」と「文章」でできていますが、この絵本は「背景」と「人物」、そして「文」という3つの要素にきっちりと分けたかったんです。重要な人物である半藤さんをクローズアップさせて文章を読んでもらい、背景はそのイメージを広げる役割を持たせたいと、ずっと考えていました。そういう絵の構成や使う画材は、直感で選んでいます。

半藤:私はラフで見せていただいたんですが、そのときに少し絵を直してもらっているんですね。民ちゃんのスカートをもんぺに替えてもらったり……。

戦争が始まると服装も規制され、女性はもんぺをはくことが義務づけられていたため、戦時下を描いたシーンでは、民ちゃんの服装がもんぺになった

半藤:あと「私は金ピカのボタンがついた中学生ですから、偉そうにしてください」なんて言ったら、たちまち直ってきちゃうんですよ。防空壕なんかは、直すのが大変だったでしょう。向島の防空壕は、トンネルのように掘って作れなかったんです。海抜ゼロメートル地帯だから、掘るとすぐに水が出て来る。なので、木の柱を立てて、その上に布と土を被せたものになったんですね。

塚本:僕はせっかちなんです。修正の話を聞いてしまうと、夜中でもなんでも描かずにはいられなくなって(笑)。あと、どんな修正がきても、半藤さんの赤字は意地でも絶対に直すと決めていましたから。

塚本さんが最初に描いた防空壕は「トンネル型」だった。しかし事実と違うという半藤さんの指摘で、今の形に描き直された

──この絵本では、空襲から逃げるシーン、特に火の表現の力強さに圧倒されます。半藤さんは、塚本さんの絵を見てどんな風に感じましたか?

半藤:私は自分で体験していますけれど、まさに絵に描かれた通りですね。文章で書くと「火炎が怒涛のように」とか「黒煙が噴騰する」という風に書くでしょうが、どうにもうまい言葉が見つからないけれど、絵の力はすごいね。

空襲を受けて、あっという間に燃え上がった町

塚本:母から、みんなが布団を被って逃げたことや、その布団に火が燃え移ってボワーッとなったという話を聞いていたので、火の粉がそこら中に飛び散っている感じを、スプレーで表現しました。

──火の勢いと迫力がすごくて、鬼気迫る感じがします。

塚本:火災のシーンを描いていたら、火の粉ならぬスプレーを僕が浴びちゃって、鏡を見たら顔に絵の具が飛び散っていたんです。描き終わった後で「もうスプレーは使わない」と、焼けあとのちかいを立てました。まあ、冗談半分ですが(笑)。

──(笑)。でも、こんな火に追い立てられたら、本当に逃げるのは大変だったと思います。

半藤:絵本ではわからないけれど、自分の家から逃げおおせた中川までは、かなり遠いんですよ。でも、夢中になって逃げているから、距離なんてわからない。それで途中で「火なんてもう来ねぇや」と思って、ばかみたいにひと休みしたんです。そうしたら、ものすごい勢いで火と煙が追いかけてくる。その様子を、自分で経験していない塚本さんが、よくもまぁ見事に再現して。
こんにゃく稲荷(三輪里稲荷神社)の鳥居やラジオなんかも、当時の形なんだよね? 九段下にある昭和館には行ったことがあるの?

塚本:はい。昭和館には何度も行きましたし、地元の墨田区にある、関東大震災についての記録を残した震災記念堂(東京都慰霊堂)に行って参考にしたものもあります。当時の様子を、できるかぎり再現しようと思って、資料も集めました。

──そういった細かい部分にもこだわりがあったんですね。絵本では、火にまかれ命を落とした人の姿もありますが、絵にする場合に特に気をつけたことはなんですか?

塚本:絵本を読むのは基本的に子どもなので、命を落とした人の姿をリアルに描くとトラウマになってしまうと思いました。かといって、あまりにも漫画的な表現では、戦争の怖さが伝わらないので、その絵柄の塩梅が少し難しかったです。

──塚本さんが、絵本で伝えたいことを大事にしつつ、読み手を意識した絵作りを行ったことがよくわかりました。

絵本を通じて、日本も戦争をしていたことを伝え続けたい

──この絵本を親子で読む場合、親が『15歳の東京大空襲』を読んでいると、絵本に描かれていない部分にも、いろいろと興味を惹かれるエピソードがあっておもしろいと思いました。

半藤:そうですね。空襲を受けて親父と逃げるときに、私が持ち出したカバンの中身は、絵本だと「友だちからもらった手紙」とありますが、実際はラブレターが3通あったんです。親父に「身一つで逃げろ」と言われたのに、どうにも捨てられなかった(笑)。その荷物も、途中で落としちゃったんだけど、落としたおかげで川に落ちたときに溺れずにすんだんですから。

──火に追われていたシーンの赤と、川に落ちて助かったシーンの青のコントラストが、とても印象的です。

火から逃れたものの、今度は溺れそうになった半藤さん

半藤:文字の本は、残念ながらあまり読まれていないようですが、おかげさまで絵本になったから、若い人にも読んでもらえるとうれしいですね。実際に東京大空襲を体験した物書きというのは、もう私くらいしかいないと思います。ただ、語り継ぐのは本当に難しいんですよ。

──どんなところが難しいと思われますか?

半藤:戦争のことをしゃべっていると、だんだんと自分がものすごく元気で勇気があって、火も煙も恐れずに堂々と逃げた人間のように思えてくるんです。それは真実ではないと思ったので、私自身も40歳くらいまで戦争での体験を語らずにいました。ところが、元軍人の中には嘘ばかり言うのがいるんです。
私はずっと昭和史を勉強していましたから、嘘を指摘すると、「何をぬかすか、この若造が! お前なんか戦争体験もなにもないじゃないか」と怒鳴る人もいました。だからいっぺん、「俺だって戦争体験があるんだということを見せなきゃならない」と思って、話すことにしたんです。

──そうだったんですね。自分から戦争体験を話したことで、変わったことはありましたか?

半藤:2、3年前かな。墨田区八広に住んでいるという女性が、私の本を読んで「私の父は中川の船頭でした。半藤さんを助けたかどうかはわかりませんが、東京大空襲のとき、船を出して人を助けたと聞いています」と手紙をいただいたことがありました。
昔は「船頭の娘」と言われて、肩身の狭い思いをしていたそうですが、それがお役に立ったことが私の本でわかって、「今は誇らしい気持ちになりました」と。
その女性は、私と同い年くらいの方でした。

──辛い体験を声に出すは覚悟のいることですが、声に出したことによって、新たな事実が判明し、記憶に刻まれるということが、伝えていく意味なのかもしれませんね。

塚本:半藤さんのように経験していないと、全部嘘になってしまいますからね。戦争を知っている人がいなくなると、戦争がどんなものだったかわからなくなってしまう。僕がこの絵本を作ったのは、僕が小さいころから母に戦争の話を聞かされたように、小さいころから戦争についての絵本を読むことで、日本にも戦争が本当にあったことを記憶に留めておいて欲しいという願いでした。
その「実際にあったことだ」という印象を深めるのは、やっぱり半藤さんのように実際に体験した人が「語る」ことに意味があるんだと。その思いを凝縮したのが、最後のちかいのページです。

このページの文字と題字は、絵画や木版画をたしなむ半藤さんの手描き文字を使っている

半藤:このページのセリフは、自分の心の中で最後まで拮抗していたんです。「絶対」という言葉は使いたくないと。でも、森さんや塚本さんの心の要求もあるのか、どうしても使ってくれと言うんです。
「世の中に『絶対』ということはない」というのは、焼け跡でボーッと立ちながら、ボンクラが一生懸命に考えた哲学でした。だから、「絶対」だけは永久に使いたくないと思っていました。でも、改めて絵本を読むと、この言葉を使わないと終わらなかったね。

塚本:そうなんです。実は最初のスカイツリーの絵にも意味があって、母の話では、今、スカイツリーが建っている場所に、当時、空襲で亡くなった方のご遺体がたくさん置かれていたそうです。今でも慰霊碑はありますが、あまり人目に触れる場所ではなくなっています。そうやって、どんどん忘れ去られるのは、やはり怖いなと思います。

──そのお話を聞くと、現代の風景とのギャップがクローズアップされて、また強いメッセージとなって伝わってきます。最後に、絵本ナビユーザーにメッセージをお願いします。

半藤:私が伝えたいのは、この最後のページの通りです。
世界中の子どもたちを、もう二度とあんなひどい目に遭わせたくないという思いでこの絵本を作ってもらいました。どうかお子さんたちは、「戦争というものは、子どもだろうが、女性だろうが、容赦ないんだ。非情なものなんだ」ということを、しっかりと肝に銘じて欲しいと、本当に思います。
戦争になると、人の生き死にを間近で見てもなんとも思わなくなっちゃうんですよ。焼け跡にボーッと立っていたときに、それが情けなくてね。本当に、なんにもなくなっちゃうんです、戦争は。

塚本:20代30代のお母さん世代からすると、戦争の絵本を読むことは、楽しい絵本体験とは対極にあるかもしれません。でも、次の世代にバトンを渡すという意味でも、子どもたちに読んでもらいたいです。
僕は『焼けあとのちかい』を含めると戦争に関する絵本を4冊ほど出していますが、本当はもう描きたくないとも思っています。でも誰かが形にしないと、どんどん消えて行ってしまうので、黙っていられなくなっちゃうんです。
僕が知っている限りの戦争の本を、これからも描いていこうと思っています。絵本作家ができることは、絵本を描くことですから。だから絵本を読んで、いろんな人にどんどん想いを繋げてもらえるとうれしいです。

──貴重なお話をたくさんしていただいて、本当にありがとうございました。

インタビュアー/木村春子
文・構成/中村美奈子
写真/所靖子

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