●翻訳作業とアメリカ文化
───「ピーナッツ」を読んでいると、日本にいながらアメリカの雰囲気を違和感なくそのまま日本語で感じている自分に驚きます。そして、読むたびに自然と魅せられて、気づくと自分も「ピーナッツ」の住人の気持ちになっている、それくらい原作に忠実な素晴らしい翻訳なのだなと改めて読み直して実感します。 「ピーナッツ」を通して、アメリカの日常を垣間見ることが出来ますよね。
谷川:アメリカ合衆国には、困ったところ、病んでいるところもたくさんありますが、「ピーナッツ」を見ているとアメリカとアメリカ人のいいところ、健やかなところが見えてきます。
───谷川さんが翻訳を始められた当初、恐らくアメリカの生活や風習、そして習慣が、今の日本よりも大分かけ離れていたものだったのではないでしょうか。実際に翻訳するための下調べなどはされたのでしょうか。
谷川:下調べのようなことはしません。自分の体験、アメリカ人の友人やアメリカで暮らしている私の娘の助言、数種の俗語辞典などに頼って訳してきました。
───当時、翻訳する際に意識されていたことや工夫されていたことがありましたら教えてください。
谷川:合衆国と日本の具体的なライフスタイルの違いが、40年前と比べると格段と小さくなっているので、文化・習慣の違いに驚くことも少なくなっています。たとえば朝食に食べる<シリアル>をどう訳すかなどと思い悩まずにすむようになりましたが、でもまたたとえば<ドライブウエイ>(アメリカでは普通の住宅にもある車寄せ)は、日本ではホテルなどの大きい建物にしか使わない語なので、前後の文脈で情景が分かるように考えます。いずれにしろ画が台詞の絵解きの役を果たしてくれるので、登場人物の微妙な表情なども翻訳する上で、大きな助けになります。

ハロウィーンも今ではすっかりお馴染みになりましたよね。
───40年翻訳を続けられていて、作品の変化を感じることはありましたか。谷川さんご自身が、「ピーナッツ」の作品への印象や見方が変わった部分はありますか。
谷川:いちばん大きい変化は、シュルツさんの画がどんどん巧みに、魅力的になってきたこと。私自身にとってはキャラクターたちが、翻訳を続けているうちに、どんどん自分の身内のように感じられてきたこと。

───原作者のチャールズ・M・シュルツさんとはお会いしたことがありますか?
谷川:シュルツさんとは一度だけサンタローザで会いました。彼のアイスアリーナのカフェでハンバーガーをご馳走になりました。物静かな学者タイプのかたで、握手したあとの私への第一声が「あなたは原爆が落とされたときどこにいましたか?」というのだったのが強く印象に残りました。 シュルツさんが亡くなって、「ピーナッツ」の連載が終わったことにほっとすると同時に、寂しさを感じました。40年以上のおつきあいでしたから。でも登場人物たちが老いることも死ぬこともなく、繰り返し私たちを楽しませ続けてくれるのは大きな救いです。
───「ピーナッツ」がアメリカ人にとって、いかに身近で愛される存在だったかわかるエピソードに、 人類が初めて月に第一歩を記した1968年の着陸船の愛称が「スヌーピー」、母船の愛称が「チャーリーブラウン」だったと聞いたことがあります。初めて「ピーナッツ」が登場した時の日本の読者の反応はいかがでしたか。
谷川:私はペーパーバックだけでなく、本国でのように日刊紙に毎日連載されることを期待していましたが、新聞マンガの長い伝統をもつ日本では、そこまでの人気を外国マンガが得るわけにはいきませんでした。そのかわりスヌーピーをはじめとするキャラクターの人気は上がる一方で、私は確かに画の魅力は大きいけれど、シュルツさんが書くセリフのユーモア、ときに哲学的とも言える人生についての寸言を、もっと味わってほしいと思っていました。
───今では、これだけ長く時間が経過しているにもかかわらず、復刻版『スヌーピー全集』を待ち望んでいた日本の読者が大勢いらっしゃいます。なぜ、「ピーナッツ」はこんなに長く愛される作品になったと思われますか。
谷川:登場するキャラクターの一人一人が、自分の身近に、ときには自分自身の中にいると、そう思わせるところではないでしょうか。
───子ども同士の会話なのに、ドキっとさせられたり、納得させられたり。また、読む時期によって感じ方が変わってきたり。 「ピーナッツ」の世界では、その一つ一つが生きている会話なのだと感じます。 何度でも味わえる、味わうたびに感慨深い「ピーナッツ」の魅力を要約するとしたら、何と表現したらいいんでしょうか。
谷川:すぐれた作品の魅力を要約して伝えることは、「ピーナッツ」に限らずその作品の一面をとらえることは出来ても、全体をとらえることにはならないと思いますが、それを承知で言うとすれば、子どもや犬や小鳥の姿を借りて描かれた、洋の東西を問わない人間の日常のおかしさとペーソスでしょうか。
───個性的でユニークなキャラクターたちが、いつもの場所でいつものメンバーと話すことで、そのテーマや台詞が生きてくるように感じます。谷川さんの考える「ピーナッツ」のテーマは何でしょうか。
谷川:「ピーナッツ」は偉大なマンネリズムだと私は考えています。私たちの毎日の生活が意識するしないにかかわらず、基本的にマンネリズムで成り立っていることに、それは照応しています。定番エピソードが繰り返されることに、私たちは心理的な安心感を感じることが出来るのではないでしょうか。繰り返されながら、どこかにちょっと新しい工夫があるのも、私たちの現実の日々に似てリアルです。
チャーリーとルーシーの野球シーンも繰り返し登場しています。
───エピソードの中で、多くの印象的な言葉、台詞がありますが、谷川さんがぱっと思いつく、お気に入りのフレーズはありますか。
谷川:「ぼくが人間だったら犬なんか飼うもんか」
───谷川さんの考えるおすすめの読み方、楽しみ方がありましたら教えてください。
谷川:私は自著でも読者に読み方、楽しみ方をすすめることはしていません。 シュルツさんも好きに詠んで、見て、笑ってもらえればいいと思っていたのではないでしょうか。ひとりひとり違う読み方、楽しみ方が出来るというところに、「ピーナッツ」の素晴らしさがあります。
───貴重なお話ありがとうございました!
●「スヌーピー全集 別巻 ピーナッツ ジュビリー」発売!
今回の『スヌーピー全集 全10巻』の嬉しい復刊に続き、「ピーナッツ」ファンにはたまらない特別な1冊が2013年4月下旬に復刻出版される予定です!『ピーナッツ ジュビリー 漫画スヌーピーの25年 スヌーピー全集 別巻』は、『PEANUTS』生誕25周年記念として1975年に発行、日本では1982年に『スヌーピー全集』の別巻として発売されていましたが、品切れのため長い間ずっと入手困難でした。シュルツさんご自身の子ども時代のお話や漫画家志望の経緯、キャラクター着想秘話から、この本だけに収録されている1950年代〜70年代にかけてのサンデー版コミックやピーナッツ年譜など、刊行当時そのままの内容で復刊された、ファンには宝物とも呼べる貴重な1冊です。こちらも是非ご覧下さい。
『PEANUTS』生誕25周年記念として1975年に発行され、日本では1982年に『スヌーピー全集』の別巻として発売された本書ですが、長らく品切れのため読むことが出来ませんでした。『スヌーピー全集 全10巻』の復刊に続き、皆様の多くのリクエストにお応えして、刊行当時のままの内容で『ピーナッツ ジュビリー』復刊を実現することができました。 コミックのセリフは、『スヌーピー全集』でおなじみの吹き出し中に日本語の構成です。 巻末に「ピーナッツ年譜」「ピーナッツ参考資料目録」を収録しています。
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