
鋼と火だけを相手に、人生の大半を過ごしてきた鍛冶職人の前に現れたのは、澄んだ瞳をした12歳の少年だった。 少年は、鍛冶屋になりたいから、仕事を見学させてほしいと言う。年老いた職人は少年のその純粋でひたむきな姿に心が動き見学を許した。 少年は、毎日訪れるようになり、職人も鍛冶のことを話してやり、二人は心を通わせていった。 職人は、少年が鍛冶屋になりたいというのは、子どもの気まぐれだと思っていた。
後日、少年の母親が訪れた。要件は、少年が中学校にいかずに鍛冶職人の修行をしたいと言い出したので断ってくれということだった。 しかたなく承諾した職人だったが、自分は口べたなので、少年に話して説得できる自信がなかった。話せば話すほど、少年は自分に裏切られたと思うに違いない。
職人は考えた末、自分が親方から聞いたことを、当時と同じように山へ出かけて、少年に話してみることにした。
山を歩きながら、彼は鍛冶がいかに素晴らしい仕事であるかを少年に話した。
それは、説得とはまったく逆の話だったが … …。
年老いた鍛冶職人は少年を、いかに育てたのか? 子育てとは。人育てとは? 伊集院 静が贈る珠玉の短編小説!
<書籍レビュアーより>
人の成長とは何なのか。人として大切なことは何なのか。静かな短編の中に凝縮している。素直に受け取ってもらえる言葉を、丁寧に紡いだという印象の作品だ。読んでよかったと心から思う。
鍛冶屋になりたいと、老職人を訪ねる少年。二人が過ごした時間は短いが、少年は老職人の姿から様々なことを学んでゆく。同時に老職人は少年の真摯な姿に自身の子供時代を重ねつつ、これまで感じたことのない感情を知る。
老職人の死によって物語は終わったように思ったが、その本当の結末に涙した。 木内達朗氏のイラストがこの静かな作品世界を広げている。作品と一緒に楽しんでほしい。( 諸見里杉子 / 朗読者・書籍レビュアー )

若い人ときちんと向き合える大人になっただろうか
2021年に刊行された伊集院静さんの人気エッセイ「大人の流儀」の10巻め、『ひとりをたのしむ』の中で、
自身の短編が絵本となって多くの読者を得たことを喜んでいる一節があった。
その本が『親方と神様』で、絵本や児童書の出版で定評のあるあすなろ書房から2020年に刊行された。
よく目にする単行本の判型ではないが、絵本というよりも児童書と呼んだ方がすっきりする。
もちろん、折々に入る木内達朗さんの挿絵も魅力ではあるから。それも楽しめる。
物語は「まだ町や村のどこかに鍛冶屋があった時代の話である」という文章から始まる。
最近では鍛冶屋といってもドラマや映画で見かけることはあっても
なかなか実際目にすることはない。
鋼と火を相手の職業に後継者も見つからないということであろうか、
それはこの物語の時代でもそうだった。
鍛冶職人として人生の大半を過ごしてきた六郎の前に、鍛冶職人になりたいという少年が現れる。
そんな少年の先行きを案じる母親が六郎のところを訪れ、
その夢をあきらめさせて欲しいと頼みに来る。
六郎は悩む。悩みながらも、この年になって純粋な目をした少年に会えたことに感謝している。
そして、かつて弟子入りしたばかりの六郎を連れて親方が連れていってくれた山間の神社へ少年とともに足を運ぶ。
そこで六郎はこんなことを少年に話す。
「今はすぐにできんでもひとつひとつ丁寧に集めていけばいつか必ずできるようになる」
それは六郎の親方の言葉でもあった。
これから大人への道を歩もうとする若い人へ、何をどう伝えていくか、
それこそ大人の器量だし、大人の流儀が試されるのだろう。 (夏の雨さん 70代以上・パパ )
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