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		イリヤ。ぼくたちは、彼のことをそう呼んでいた。
 けれどそれは、彼の名前ではなかった。彼にはもともと名前はなかった。人が間に合わせに〃イリヤ〃という名前を彼に与えたにすぎない。もっとも、ぼくたちにとっては、そんなことはどうでもよかった。イリヤはイリヤで、それ以外の何者でもなかった。
 その名前に、ぼくたちは今でも親しみと懐かしさを感じている。
 その名前に、憧れを感じる者もいる。もちろんぼくも、みんなと同じように、イリヤに親しみと懐かしさと憧れも感じている。ただひ
 とつだけ、みんなが感じていないものを、ぼくはイリヤに感じていた。
 それは、恐怖──。
 しかし不思議なことに、イリヤに感じていた恐怖こそが、ぼくがイリヤにもっとも引きつけられたところのものなのだ。
 イリヤは、ある日突然ぼくたちの前に現れ、強い印象をぼくたちに与えて消えた。イリヤとぼくたちとの関わりを要約してみれば、た
 だそれだけのことにすぎなかったが、その内実は、謎と秘密と不思議な冒険に満ちていた。
 
 三田村信行の創作は、幼年から高学年まで多岐にわたり、作品数も膨大ですが、一貫して書き続けてきたモチーフが“オオカミ”です。1988年『オオカミのゆめ ぼくのゆめ』を嚆矢とするならば、その集大成とも言える作品が『オオカミは海をめざす』です。
 児童文学というジャンルすら忘れさせる、一級のミステリー&エンターテインメント作品。
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