アルプスの山を歩く、少年と女性。
ふたりは、同じスカーフの両端をつかんで、山道を進みます。
少年の名はルーチョ、14歳の男の子です。
好きなものは、音楽と読書、そして山々の大自然。
嫌いなものは、目が見えない自分のために差し出される、他人の手――
「ぼくは目が見えない。でも、もう子どもじゃないんだ」
ルーチョとその叔母のベアが登るのは、アルプス山脈の一部、ドロミテ渓谷。
美しい森が広がり、そこにはたくさんの動物たちが息づいています。
彼らは、山小屋で出会った少女キアーラ、山岳ガイドのティツィアーノと共に、タカの夫婦がつくった断崖の巣を観察しにいくことに!なんとそこには、じきに巣立ちをむかえるヒナが住んでいるといいます。
心浮き立つルーチョとは対照的に、キアーラとティツィアーノは、盲目の少年と山をゆくことにとまどいを覚えていました。彼らの気持ちを敏感に感じとり、助けが必要ないことを証明しようと、意固地になるルーチョ。
同じころ、ルーチョたちと同じヒナを目指して深い森の中をすすむ、悪意に満ちた密猟者の影もありました――
第66回青少年読書感想文全国コンクール、小学校高学年の部課題図書。
他人の助けをはねのけ、なんでも自分でこなそうとする、努力家で誇り高い盲目の少年ルーチョ。そんな彼が、大自然の中で経験する出会いと成長を描いた感動作です。
目の見えないルーチョの、特別な『眼』を通じて描かれる、アルプスの風景の美しいこと! ルーチョは風の香りで谷間の空間を感じ、空を舞う水に触れて滝を感じ、木々の反響を聴いて森を感じることができます。
「ルーチョは唇をわずかに開いて、空気を吸った。口から山の雄大さも吸いこんだ気がした。舌の上に大地と空の味が広がった。ルーチョは、それをむさぼるように味わった」
全身で自然を味わい、山歩きを心から楽しむルーチョ。
彼が歩を進めて新しい風景があらわれるたび、そのみずみずしい描写に、ルーチョと一緒にワクワクしてしまいます。
また、「目が見えない」というルーチョの個性は、登場人物たちの重要な葛藤としても描かれています。
何を言ったら失礼になるだろう?
どこまでのことができて、どんなことに助けがいるだろう?
ルーチョの助けにならなくては、という気持ちのせいで、逆に萎縮してしまうキアーラやティチアーノ。ルーチョと初めて出会ったときの、キアーラやティチアーノが抱いた気まずさには、ドキリとさせられるはず。そして、そんな気づかいのために、お荷物にされているような気分になるルーチョ。
本作には、備えている能力の大きく違うもの同士が、お互いを本当に理解しあうことの難しさについて、改めて考えさせられるシーンがたくさんあります。そんな中、かたくなに他人の助けを拒みつづけるルーチョを見て、彼を心配する叔母のベアは考えます。
自分にどこまでのことができるかを把握し、必要なときには素直に人の手を借りることができる。それこそが本当の自立だと。
こうした本作のメッセージは、目の見える見えないに関わらず、人が生きていくうえでの普遍的なテーマにちがいありません。
いろいろな個性が、それぞれに生き生きと過ごすことのできる社会を理想とする現代。
この物語は、そうした新しい社会を生きるための、より強いメッセージとなって読者の心に刻まれることでしょう。
そして、物語の最後に登場する、ルーチョの新たな友人とは?
ルーチョの心の成長を証明するその意外な正体を、ぜひ本を読んで確認してください。
(堀井拓馬 小説家)
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