冬曇りの空の下、午前10:29。
駅のプラットホームに男の子が一人。
秋の初めに別れたパパを乗せた電車の到着を待っている。
久々にあえたパパとの時間が嬉しくて、本当にここにパパがいるんだ(現実)ということを確認するかのように、店の人、顔見知り、見知らぬ人にまで、「ぼくのパパだよ。ジョニーっていうんだ。」を繰り返すティム。
パパはティムのこの言葉を何度も聞き、何を思ったんでしょう。
本当に喜んでいる。
父親への深い思慕。
父親を失い、悲しみにうちひしがれる場面を、日々の生活の中でこの子はいくつも経験したんだろうな。
こんなことをパパは、息子の成長の背景に感じたに違いありません。
手をつなぐシーンが、いくつも出てきますが、子どもの手のひらは手をつなぐと、日々親の手のひらにおさまりきれなくなっていきます。
ティムのパパも気づいたでしょうか。
図書館のシーンが、印象的でした。
図書館はいいなと思いました。静かにゆっくりと相手の息使いを感じ取れる距離でいられる。
ショッピングセンターの喫茶店で、ショーケースの中のケーキを選ばせるため、テイムをしっかり抱きかかえ降ろさなかったパパ。
その重さとぬくもりに、きっとたくさんのティムへの言葉にできない思いが去来したことでしょう。
最後の電車の中のパパの言葉は、パパの気持ちをティムに一番良く伝えられる言葉だったのでしょう。
大きなパパの手が、電車と共に小さくなっていくシーンは、切ない。
午後8:00。
また、一人プラットホームに残るティムの言葉。
『これは夢じゃない、ぼく本当にパパに会ったんだ。』という、自分に言い聞かせるような、やはり確認のような、悲しい言葉に私には思えました。
11歳の息子は、「『パパ』って言葉をずっと言ってなかったんだろうな。『ぼくにもパパがいる』って言えてうれしかっただろうね。」という感想。
私は、鼻の頭を真っ赤にして、うなずき返事をしました。
読み返して、落涙。
皆さんのレビューを読んで、また落涙。
表紙を見ても…、今はダメですね。
たくさんの大人の方に、読んで頂きたいと思いました。