ペツェッティーノが自分探しを終えて
こなごなじまから帰ったとき、ともだちがひとりのこらず
彼をまっていた。
たった一言ペツェッティーノが「ぼくは あなたの ぶぶんひん
ですか?」と聞いただけの彼らが一人残らず待っていてくれた
なんて!と驚きとともにとても嬉しかったです。
それだけペツェッティーノの姿が必死で彼の帰りを気にかけながら
待ちたいと思わせたのか。彼らも大きかったり、山を登れたり
つよいやつでも自分自身を思い考えたこともあったのかなと
思いをはせました。
ペツェッティーノには、小さくてもちゃんと名前がある。
部分品だったら部分品ひとつひとつに名前はないと私は思う。
彼が立派な個体であることは最初から分かっているのだから
見た目だけで自分は誰かの部分品なんだって思わなくても
良かったのではないか。
そう彼を思わせたのは小さくて他のみんなのように
思いきった、すばらしいことが出来ないと
思い込んだからじゃないかと思います。
おうおうにして自分探しとは自信探しなのかと
思います。
ペツェッティーノ諦めずによく頑張ったね。