ある村に「涙つぼ」と呼ばれている子どもがいました。ある日、その子のもとへ、頭のてっぺんからつま先まで真っ黒なおじさんがやってきます。おじさんは「私は涙を集める人なんだ」と名乗り、大きな黒いカバンを開いて見せます。その中には黒いシルクの布に包まれた箱があり、大きさも形も様々な涙が宝石のように並んでいました。
「オレンジがかったこの涙は、とても腹が立ったときに流す涙……、灰色がかったこっちの涙は、嘘で流す涙……、薄紫色の涙は間違いを後悔したときに流す涙……」
他にも、濃い紫色の涙、赤黒い涙、ピンク色の涙……とたくさんの涙を持っているおじさん。しかし、このどれでもない、世界で最も美しい「純粋な涙」を探していて、その涙を「涙つぼ」とずっとからかわれてきた子どもが持っているのではないかと言います。その後おじさんの道連れである「青い明け方の鳥」に導かれて、子どもはおじさんが向かう目的地まで一緒に旅をすることに。旅を通して、おじさんが見せてくれたもの、出会わせてくれたものは、子どもにどんな変化をもたらしていくのでしょうか。
本作の魅力は数え切れないほどあります。
私たちが何気なく流している涙にこんなにも様々な種類があるというその豊かさに気づかせてくれること。
涙の色や自然の描写をはじめ、物語の中に鮮やかな色彩が満ちあふれていること。
小さな桃色の体に青い翼と尻尾をもつ「青い明け方の鳥」が魅力的で、子どもの旅に優しく寄り添う姿がホッとさせてくれる存在であること。
さらに、おじさんが持っている、キラキラ粉とピカピカ粉。真っ黒なおじさんと対比するように登場する真っ白なお爺さん。影の涙の存在……など童話らしい楽しさがあちこちに散りばめられています。
ノーベル文学賞作家・ハン・ガンさんが描く、涙をめぐるあたたかな希望の物語。やわらかく美しい文体は、ハン・ガンさんの作品を初めて読む方にもおすすめです。また、ハン・ガンさんご自身が長年のファンでいらしたというjunaidaさんの挿絵は、ハン・ガンさんの童話世界をさらに奥深く、神秘的に彩っています。物語を読んだ後にあらためて表紙を眺めるとまた新たに発見することがあるかもしれません。
涙を流すという行為が、いかに人の心を救い、浄化させるのか。そして、表面的な涙の有無だけでは測れない、人が心に抱える悲しみや希望について、深く考えるきっかけを与えてくれるあたたかな物語です。
(秋山朋恵 絵本ナビ編集部)
続きを読む
ノーベル文学賞作家ハン・ガンがえがく、大人のための童話
この世で最も美しく、すべての人のこころを濡らすという「純粋な涙」を探して
昔、それほど昔ではない昔、ある村にひとりの子どもが住んでいた。その子には、ほかの子どもとは違う、特別なところがあった。みんながまるで予測も理解もできないところで、子どもは涙を流すのだ。子どもの瞳は吸い込まれるように真っ黒で、いつも水に濡れた丸い石のようにしっとりと濡れていた。雨が降りだす前、やわらかい水気を含んだ風がおでこをなでたり、近所のおばあさんがしわくちゃの手で頬をなでるだけでも、ぽろぽろと澄んだ涙がこぼれ落ちた。
ある日、真っ黒い服を着た男が子どもを訪ねてくる。「私は涙を集める人なんだ」という男は、大きな黒い箱を取り出し、銀の糸で刺繍されたリボンを解くと、大小、かたちも色もさまざまな、宝石のような涙を子どもに見せた。そして、このどれでもない、この世で最も美しい「純粋な涙」を探していると話す。男は子どもがそれを持っているのではないかと言うのだが――。
「過去のトラウマに向き合い、人間の命のもろさを浮き彫りにする強烈な詩的散文」が評価され、2024年にノーベル文学賞を受賞したハン・ガン。本書は童話と銘打ちながらも、深い絶望や痛みを描き、そこを通過して見える光を描くハン・ガンの作品世界を色濃く感じられる作品です。
幸せな出会いが実現し、日本語版の絵はハン・ガン自身、長年ファンだったというjunaidaさんが担当。ハン・ガンが、「読者それぞれのなかにある希望の存在」としてえがいた主人公や、どこともいつとも特定しない本作の世界を美しく描き、物語とわたしたちをつないでくれます。
2008年、韓国で発売され、本国では子どもから大人まで幅広い年齢層に愛されている本作。ハン・ガン作品との出会いにもおすすめの一冊です。
「きみの涙には、むしろもっと多くの色彩が必要じゃないかな。特に強さがね。
怒りや恥ずかしさや汚さも、避けたり恐れたりしない強さ。
……そうやって、涙にただよう色がさらに複雑になったとき、ある瞬間、きみの涙は
純粋な涙になるだろう。いろんな絵の具を混ぜると黒い色になるけど、
いろんな色彩の光を混ぜると、透明な色になるように」
―本文より―
涙をめぐる、あたたかな希望のものがたり。
続きを読む