●読み聞かせをするとき
松居:私は、二百話語りのおばあさんを知っています。岩手県の遠野にいらした鈴木サツさんという方です。サツさんに「どうしてそんなに話を覚えているんですか」と質問しましたときに、「言葉で覚えているんではございません」とおっしゃった。「自分の中に見えてくるから、それを言葉でみなさんにお話ししているだけでございますよ」と。
俵:言葉に「翻訳」して伝えていらっしゃる……。
松居:サツさんは五歳から小学五年生まで、お父さんから毎晩、囲炉裏端で話をしてもらったんだそうです。「父の中に絵が見えていたと感じました。それが父の言葉と一緒に私の中に入って来て、私の中で絵が見えるようになりました。だから、私がお話しするときには私の中に見えている絵をみなさんに言葉でお伝えしているだけでございますよ」っておっしゃったんです。二百話暗記するのは大変なことですけど、暗記されているんじゃなかったんですよ。見えるものを伝えていらっしゃるんです。だから、同じ話をされるとき、ときどき前とちょっと違うねということがあるんですよ。言葉遣いが違っているんです。でも物語そのものは変わっていない。これが昔話の語りなんです。
絵本を読んでやるときも、子どもは絵を見てればいいでしょということではなくて、読み手がその絵と文章から豊かな世界をご自分の中に思い描いて、それを伝える。そういった気持ちの読み方をしてくださると、子どもに本を読んでやるということが本当に生きてくるんですね。
俵:今のお話を子どもに読み聞かせするときに知っていればよかったなと思いました。子どもの小学校で、子どもたちに絵本を読んでやる機会があるんですけれども、今すごく読み聞かせっていうのが盛んになっていて、お母さん方とも「どういうふうに読めばいんでしょう」という話をするんです。今のお話がすごいヒントだなと思いました。自分の中にお話の絵が見えて、それを言葉に翻訳して伝える、という感覚があれば、すごく豊かな読み聞かせができるなぁと思いました。
松居:気楽にやればいいですよ。
●子どもの言葉
松居:私はこの本(『ちいさな言葉』)を読ませていただいて、俵万智さんが生活の中でお子さんの話を本当によく聞いてらっしゃるということがよくわかった。そしてそれが俵さんの創作活動やいろんな活動に見事に結びついているということを知りました。
子どもに自分の話を語るだけでなくて、子どもが語っていることを大人がどのくらい聞いているか。子どもの話を聞かないと、大人が育たないんですね。子どもをよく見て、子どもの話をよく聞いていると、自分の気持ちが動いて、子どもとつながっていって、子どもを育てることができるんです。今の社会、今の日本では大切なことだと思います。
私に言わせれば、このごろ大人が大人に育っていないもんですから、子どもを育てられないんです。学校教育も大切、幼稚園、保育園も大切、集団生活もとても大切です。しかし、その集団生活を本当に豊かに体験するためには、家庭での生活、言葉というものが充実してないといけない。
俵:子どもの話すことは、本当におもしろいですよね。子どもって語彙が少ないから、手持ちの、少ない言葉を組み合わせて、色々語りかけてきたりするんです。
私はだっこ派で、ほとんど子どもをおんぶをしたことはなかったんです。あるとき、いとこがおんぶされてるのを見てすごくうらやましく思ったのか、子どもがじぃっと見ていて、「おかあさん、背中でだっこして」って言ったんですね。「背中でだっこ」って言われたときに、「おんぶ」ということが私にはすごくストレートに伝わりました。別におんぶという言葉を知らなくても言えるな、と。
言葉って手持ちの数が多ければ多いほど、表現は楽になっていくんですけれども、手持ちの数が少なければ、少ないなりに工夫する。時々子どもが詩人に見えたりするのも、多分そういうことなんだと思うんです。
言葉を自分で発明することはできないけれど、組み合わせで伝えることはできる。「サラダ記念日」も、「サラダ」「記念日」という手持ちの言葉を組み合わせたということに尽きるんです。「背中でだっこして」と言われたときに、表現は組み合わせだなと、すごく感じましたね。くらしの中で子どもと話していると、そういう発見もあって、すごく楽しいですよね。
松居:子どもにとって遊びというのはものすごく大切で、遊ばないと言葉が豊かにならないんです。子どもどうしが遊んでいるときには、次から次へといろんな言葉を使います。遊びの中で子どもが感じていることや発言していることを知ることは、子どもの気持ちを感じる一つの方法ではないだろうかと思いますね。
●読むことは愛、言葉は愛
俵:私は母から「『三びきのやぎのがらがらどん』を全部覚えていたのよ、という話を聞いたとき、なんかちょっと得意な気持ちというか、「すごいんじゃないの」って思ったんです。でも、自分が子どもに読んでやる立場になったときに、子どもに「もう一回、もう一回」って言われて何回も繰り返し読んでいるうちに、さっきのエピソードは、私がすごいんじゃなくて、母がすごかったんだな、と思ったんです。私が一言半句間違えずに覚えるまで読んでいた母がいたから自分が覚えられたんだな、ということを自分が読む立場になって初めて気がつきました。
子どもが覚えるまで絵本を読むという、その読むということを通しての愛情ですね、そこにそういう気持ちがあるから沁み通って伝わっていくんだなというのはすごく感じますね。
松居:言葉というのは、知識や情報ではないんです。言葉というのは、愛なんですね。それが伝わるように、子どもたちに絵本を読んでやっていただきたいなあと思いますね。
役に立つ絵本、ためになる絵本は作らない、というのが私の編集方針です。じゃあなんで絵本を作ってるんですかって? 子どもが喜んで、子どもが楽しんで、子どもが読んでくれている人の気持ちを感じるような、そういう絵本を作りたいんだよって思っております。