「夏休みの始まりほど心浮き立つことがあるだろうか。先には、どこまでものびた金色の線路のように、長い休みの日々がきらきらと輝きながら待ち受けているのだ。でもゆゆにとって今年の夏休みは、長くのびた線路ではなく、光る大きな一つのしずくとなって、一日目にまあるく固まっていた」
11歳の少女、ゆゆ。
ゆゆはその年の夏休み初日、〈わたしだけの、とっておきの秘密の冒険〉に出かけました。
着ればかならず素敵なことが起こる「黄の花のワンピース」を着て、心をこめて手作りした栞のプレゼントを持ち、だれにも内緒で家を出たのです。
ほんのいっとき言葉を交わしただけで特別とわかった、大切な友人との約束を守るために——
ところがゆゆは、冒険のゆく先々で傷つき、落胆し、恥じ入り……
その日は朝のワクワクと程遠い、さんざんな一日になってしまいます。
すっかり沈みこんで、家に帰りついたゆゆ。
そんな彼女を待っていたのは、「黄の花のワンピース」がもたらした、魔法のように素敵な出会いでした。
「がっかりしたり、悲しくなったりすることがあったとしても、そういう日には、楽しいことだらけだった日にはない良さがね、案外、あるかもしれないんだ」
46年後——
かつて少女だった〈ゆゆ〉は、結婚し、子どもを育て、おとなの〈由々〉になっていました。
ある日、ディアベリ作曲のソナチネの調べに誘われて、あの特別な一日を思い出します。
なにかあたらしく、決定的なことがわかったわけでもないのに、おとなになった由々が見つめ直すことで、あの夏の日はその意味を少しずつ変えていきます。
そして由々は、苦しくも美しいあの夏の物語のつづきを、知ることになるのです。
「つんつくせんせい」シリーズ(フレーベル館)や『まあちゃんのながいかみ』(福音館書店)、『へんてこもりにいこうよ』(偕成社)、『十一月の扉』(福音館書店)などで知られる高楼方子さんが描く、大人の女性の物語!
いざ手に取れば愛おしく思えるはずなのに、だれもが見落としてしまうような、ささやかな心の機微。
それをていねいに摘みとり手渡してくれる、そんなやさしい筆致が魅力的です。
「〈ゆゆ〉はおのずと慎重になった。心に溢れてくるものを、ざぶんとそのまま投げ出したりしてはならないのだ」
おとなになる過程で、〈ゆゆ〉はみずから少女であることを捨て、由々になりました。
それでも、11歳の夏の冒険を思い出し、その軌跡をたどるなかで、由々のなかで眠っていた〈ゆゆ〉はふたたび生き生きと呼吸をはじめます。
お気に入りの服がもたらす魔法のような心持ち——
日々によりそい折に触れなぐさめてくれる、かつて読んだ物語への信頼——
真摯に人生へ向き合う、おとなの女性として〈由々〉と、わけもなくウキウキと世界を愛してしまうような、みずみずしい少女としての〈ゆゆ〉。
そんなふたつの心を同居させた、由々のキャラクターがいちばんのみどころ!
ジュール・ヴェルヌの「十五少年漂流記」や、マルグリッド・デュラスの「モデラート・カンタービレ」など、いくつかの物語が、由々の心を描き出す鍵として引用されるのも本作の特徴です。
それらの物語を読みながら、由々の気持ちに自分を重ねていくのもたのしそう。
雨後の青空、輝く雨粒でぬれそぼる街並みを臨むような、静かで、きらびやかな読感。
大人の女性に送りたい、美しく切ない、おすすめの一冊です。
(堀井拓馬 小説家)
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