●国語の先生として子どもたちと関わったことが、翻訳でもプラスになっています。
───若林さんは元々、中学校の先生をしながら、児童文学の翻訳をされていたのですよね。
はい。30年ほど、大阪市公立中学校で国語を教えていました。
───なぜ、児童文学の翻訳をしようと思ったのですか?
元々、児童文学と英語がすごく好きだったんです。大学では国文学を専攻し、大学院では教育学を学び、国語の先生になりました。当時から子どもの読書離れが心配されていました。根底には、私が子どもの頃に夢中になったような作品を、今の子どもたちにも届けたいという思いがあったのだと思います。
そこで、中学校では、図書館担当もさせていただきました。当時の図書館といえば、子どもたちから一番はなれたところにあって、ずっと閉まっているような場所だったんです。
───昼休みにしか開放されていないような図書室も多くありましたよね。
当時は授業時しか使えないという学校図書館も多かったです。そんな図書館を開放し、子どもたちが利用したくなる場所になるよう明るくきれいな場所にし、蔵書をそろえたり、手作りの読書記録ノートを作ったりと、いろいろ工夫をしました。公立の小中学校では、それぞれ担当する科目や領域ごとに、先生方が集まる勉強会が定期的に開催されているのですが、私は大阪市学校図書館協議会に所属していました。
あるとき、事務局長をされている先生が、私を文研出版さんに「大の児童書好きですよ」って紹介してくださったんです。最初のころは、文研出版さんに出版された本の感想などを書いてお送りしていたのですが、あるとき「一度、物語の翻訳をしてみませんか?」とお声がけいただき、それがきっかけで、翻訳の世界に飛び込むことになりました。
───そしてはじめて翻訳したのが、『七つのキスと三つのきまり』だったのですね。
はい。それが、約30年前、幸運なスタートでした。この物語は、両親が旅行に行くため、おじ夫婦の家に預けられた女の子の物語なのですが、おじ夫婦に子どもがいないため、女の子が子どもとの付き合い方について、色々教えてあげるんです。子どもの本音をかなりストレートに表現していて、とても面白い物語です。
───『七つのキスと三つのきまり』も『ぼくのなかのほんとう』も、家族がテーマになっているんですね。
そうですね。特にマクラクランさんの作品だからかもしれませんが、視点が温かいんです。私も、家族や家族の再生をテーマにしている作品がとても好きで、自分で持ち込みをする作品には、家族がテーマになっているものが多いですね。
───先ほど、読書が好きだったと伺いましたが、小さい頃から本を読むのが好きだったのですか?
自宅のすぐ前に本屋さんがあって、物心ついたころから、本屋に出かけていっては両親に本を買ってほしいとねだったのだそうです。
初めて買ってもらった本は『あんじゅとずしおう』と『フランダースの犬』。今でも覚えています。子ども向けに簡単な文章にまとめられたものでしたが、安寿やネロの境遇が悲しくて、何度も読んでは大泣きしていました。
そこからその本屋さんの常連になり、日本児童文学全集や世界児童文学全集、浜田広介の童話全集、アンドルー・ラングの世界童話集、『ルパン全集』など買い求めては、読み漁っていました。リンドグレーンの『長くつ下のピッピ』「やかまし村」シリーズやルイスの「ナルニア国物語」シリーズなどは近くにある天王寺図書館の児童室で、友だちと先を争うようにして読んだ記憶があります。
───小さい頃から本当にたくさんの作品を読まれていたんですね。特に感銘を受けた作品、今でも大好きな作品はありますか?
たくさんありすぎて選べないくらいです! でも、『メアリー・ポピンズ』の世界観は私の中では特別なものがあります。子どもに特別な体験をさせてくれる大人メアリー、ずっと憧れです。それと、動物が好きなので「ドリトル先生」シリーズはワクワクしながら読みましたね。
───本好きな少女が、中学校の先生になって、翻訳の仕事をされているなんて、とてもステキなことですよね。学校の先生の経験が、翻訳の仕事で生かされることもあるのではないですか?
例えば出版予定の本のタイトルで悩んでいるとき、図書館に来る子どもたちに、原稿を読んでもらって、「このタイトルと、このタイトルで迷っているんだけど、どっちが良い?」と聞いてみたことはありました(笑)。そういうこと以外にも、図書館の先生として子どもたちと接していると、自分の翻訳している作品をどう手にとって欲しいか、どんな子どもたちに届けたいかということが、身近に感じられていたのではないかと思います。
あと、今の子どもたちがどんな作品が好きか、どんな作品が必要とされているかもわかりますから、多分、ほかの方よりも有利だったのではないかと思うんです。
───たしかに、目の前の子どもたちに向けて読んでほしいと思うと、作品選びも自信を持つことができそうです。いろいろなお話を聞かせていただき、ありがとうございました。最後に、絵本ナビユーザーへメッセージをお願いします。
近年、特にインターネットの発達により、情報が安易に手に入る世の中になりました。でも、周りの情報に振り回されて、本当に大切なものに目を向けるのを忘れがちになってしまっている方も多くいるのではないでしょうか?
『ぼくのなかのほんとう』は、家族をテーマに、人とのふれあいに距離を置いている人たち、失うのが恐くて愛せない人たちが、自分の内側を見つめ直し、お互いの気持ちを少しずつ伝え合う物語です。私は、この本の翻訳をしているとき、まるで詩のようにシンプルでありながら、心にずんと響く、とても深い作品だと思いました。
ぜひ、多くの方に手にとっていただき、ご家庭でお子さんと、「じぶんだけのほんとう」について、少しでも話していただけたら嬉しいです。話すのが恥ずかしいというのであれば、ちょっと人に寄り添ってみたり、こっそり「じぶんだけのほんとう」を探してみるだけでもかまいません。
本を読む前よりも少しだけでも、ほかの方とコミュニケーションを取りたいという気持ちが芽生えてきたら、訳者としてこんなに嬉しいことはありません。
───ありがとうございました。
取材・文/木村春子
写真/所靖子