昔はどこの小学校の校庭にも二宮金次郎の像がありました。
たき木を背負って本を読んで歩く姿は勤倹貯蓄の権化のようでした。
戦争になると軍国主義の風潮 にまきこまれ、忠孝の権化、果ては忠君愛国の鑑のようにあがめられました。
ですから、二宮金次郎の何たるかを知らず、いやなイメージが戦後ずっと続いてい ました。
その二宮金次郎こそは、ほんとうは、純粋な日本人その人であったのでした。
彼こそが土着の日本人の魂を持った生粋の日本人だったのです。
金次郎がたきぎを背負って読んでいた本は、孔子の「大学」でした。少年が読む本とはほど遠い漢字ばかりの本です。
こころみに手にとってご覧なさい。編者 などにはまるでちんぷんかんぷん。
しかし金次郎はめげずに一字ずつ、一行ずつ、毎日毎日なぞるように読んでいったのです。
本を読むあんどんの油を節約するように言われて、
自ら畑を耕して菜種油を手にしたとき「自然」は正直に努めるものの味方である、と学びました。
つまり「自然」は、その法にしたがう者には豊かに報いる、というかんたんな、しかし真実の摂理を若いときに悟ったのです。
実際に実践したことは、入るを計って出ずるを制する、という子どもにも判る考え方です。
今こそ日本人は、二宮金次郎に学ぶのがよい、と編者は考えました。この伝記は、小説よりも面白いのです。
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