テストの点数順で席が並ぶ4年1組の教室。転校生の始だけに見えた「羽の生えた小さな男」は、子どもたちのモヤモヤした心が具現化した「びりっかすの神様」でした。
中盤では、びりっかす同士では「心の声」で話すことができるようになると分かり、少しずつ友達に打ち明けてわざと同じ点をとりながら、びりっかすの輪を広げていきます。
子どもたちの「これは楽しい!面白い!」というエネルギーが活き活きと感じられ、引き込まれます。
子どもたちの「楽しい」は、陰険な先生を軽く飛び越え、やがて運動会のリレーをめぐって「本当にうれしいことは何か」という問いにたどりつきます。
勝つからうれしいの? ビリだから楽しいの? 競争がいけないの?
子どもたちの結論は、「いっしょうけんめい」「本気で走る」こと。
この一連の成長に、大人の存在がほとんど関係しない(「大人や常識と対決する」という構造ですらなく、全く関係ない方向に話が進んでいく)ところが、大人の私としては衝撃的でした。
ただただ「楽しい」「うれしい」というエネルギーを糧に、自ら道を切り開いて成長していく4年1組の子どもたちを見て、子どもは生来自分たちの中に成長の種をもち、このようにして成長していくものなのだろうと感じました。
親としての役割を改めて考えさせられます。