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インタビュー

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2018.04.26

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国際アンデルセン賞受賞記念 スペシャル対談『わたしを わすれないで』翻訳・角野栄子さん×金柿秀幸

魔女の宅急便」シリーズ(福音館書店)や「小さなおばけ」シリーズ(ポプラ社)の作者として有名な、児童文学作家の角野栄子さんが翻訳を手がけた、『わたしを わすれないで』(マイクロマガジン社)。角野さんが、この本の翻訳を引き受けたのは、角野さんご自身の体験と物語のテーマ性が結びついた、ある「理由」がありました。
絵本ナビ代表・金柿秀幸との対談では、「父」と「娘」それぞれの立場から、物語を通した親子の交流や、物語が与えてくれるパワーについて語り合いました。また、2018年3月26日の「国際アンデルセン賞」作家賞受賞に寄せて、改めて角野さんの創作意欲についてお伺いします。

  • わたしを わすれないで

    出版社からの内容紹介

    わたしの おばあちゃんは、
    おりょうりも おかしづくりも おそうじも、
    なんでも じょうずに できる
    やさしい おばあちゃんだった。
    でも、おばあちゃんは
    すこしずつ わすれんぼに なっていったの。

    幼いジュリアには、おばあちゃんの身に何が起こったのかまだ理解できません。
    それでもひとつひとつの現実を受け止め、おばあちゃんに寄り添います。
    たとえ忘れていても、つながりは途切れないことを教えてくれる
    こころ温まるお話。

この人にインタビューしました

角野 栄子

角野 栄子 (かどのえいこ)

1935年東京都生まれ。早稲田大学教育学部英語英文科卒業。日本福祉大学客員教授。1984年に路傍の石文学賞を受賞。「おおどろぼうブラブラ氏」(講談社)でサンケイ児童出版文化賞大賞、「魔女の宅急便」(福音館書店)で野間児童文芸賞と小学館文学賞を受賞。絵本に「ケンケンとびのけんちゃん」(あかね書房)、「ぼくびょうきじゃないよ」(福音館書店)、童話に「ちびねこチョビ」(あかね書房)など作品多数。

「楽しい」と思うと心が自由になる

金柿:この度は「国際アンデルセン賞」作家賞の受賞、おめでとうございます。ぼくも娘も角野さんの大ファンで、お話しをする機会をとても楽しみにしていました。よろしくお願いします。

角野:ありがとうございます。よろしくお願いします。

絵本ナビ代表・金柿秀幸(左)と、角野栄子さん(右)

金柿:娘が小さいころから、たくさん読み聞かせをしたり、朝、娘といっしょに駅まで歩く間に、いろいろな話をしたりしてきました。
角野さんの著書やインタビューを読むと、小さいころにお父様から話してもらった物語や、歌、フレーズからいろんなものを受け継いでいて、それが、物語を作る原動力のようなものになっているそうですね。

角野:そうなんです。私が5歳のときに母が亡くなりましたので、残された3人の子どもが寂しがらないようにと一生懸命だった父が、いろんな話をしてくれました。
でも、情操教育に良いとか、勉強に役に立つといった内容の話ではなく、新聞で連載していた宮本武蔵の物語や無声映画の話だったんです。なんていうのかしら、親の欲ではなくて、まずは残された子どもの心の隙間を埋めてあげたいという、そういう気持ちで話をしてくれたんだろうと思います。

私の父はユニークな人で、下町生まれでしたから、いろんな言葉の遊びみたいなものを使ったり、調子やリズムを持った言葉だったり、講談的だったりと、変化のある言葉遣いをしていました。そういったことが、知らず知らずのうちに、私の中に入ってきていて今の作品づくりに影響しているのかも知れません。
父も、物語を読んだり、無声映画を観に行ったりすることが楽しかったんでしょうね。自分が楽しいと感じたことを話してくれるという、立ち位置だったんです。だから、父が話してくれる物語は、私たちにもすごく楽しく伝わったのだと思います。

金柿:お父様は、ご自分が楽しいと思ったことをお子さんたちに伝えて、一緒に楽しい時間を過ごしたということですね。

角野:そうです。楽しいということは、すごく大事ですよね。とかく大人は、「本を読む子は良い子だ」という感じがありますけれども、そればかりが良い子ではないですから。

───『ファンタジーが生まれるとき』(岩波書店)で書かれていましたが、お父様のおはなしはその場の1回で終わるのではなく、続きは「また明日ね」となることも多かったそうですね。

角野:そうそう。でも「また明日ね」が本当に明日になるわけじゃなかったんです。いつ続きが聞けるかわからないから、待っている数日間、姉と「どうなるのかな?」と話をして過ごすのがとても楽しい時間でした。
今思えば、そのときに、想像力というのかしら。「こうなったらおもしろい」という次のおはなしの展開がいっぱい心の中に湧いてきて。私は、そういう瞬間が、すごく本を読むのに大事だと思うんです。

対談中に、愛犬のロメオくんが角野さんのお膝の上に

金柿:ぼくは、娘と話しながら一緒に想像して楽しむことがありました。
例えば、マンションといえば長方形なイメージがありますが、ある日たまたま見かけたマンションが、一番上の階だけ部屋数が1つ少なくて、ボコッと欠けた形をしていたんです。
「なんで1つないんだろうね。前はあったんだけどな」とぼくがうそを言うと、娘が「え! どうしちゃったんだろう。台風で飛ばされちゃったのかな。それとも地震で1つだけ落っこちちゃったのかな」なんて想像して答えてくれるのが、かわいくもあるし、楽しくもあって(笑)。

角野:子どもがいろいろ想像するのは、いいですよね。そんな風に、見たものや体験したものが、ちょっとした発想から物語になっていくんですよ。
見たものがすぐ物語になるわけではないけれども、言葉が心の中に積もっていく。記憶というものは、ぐちゃぐちゃに混ざり合って体の中に残っているものだから、ある日なにかのきっかけでふと思い出したり、「ああ、この感じはどこかで感じたことがあるかしら」という風に思ったりするんです。だから記憶というのは、「言葉にならない言葉」みたいなものだと思うんですよね。

金柿:体で感じたことと心で受け取ったことが、混ざって塊になったものが、記憶になっているというイメージでしょうか。

角野:ええ。それが豊かにあるのは、小さいときにおはなしを聞いたり、自分で本を読んだりすることによって、得られる部分がすごく大きいと思うんです。でもやっぱり、大事なのは「楽しい」ということですよ。

金柿:楽しいと、心に言葉がすんなり入ってくる感じがしますね。

角野:そうです。楽しくなければね、どんなものを読んだってダメですよ。やっぱり楽しいということは、心が自由な状態ってことですからね。

ここではないどこかに自分を連れ出し、新しい自分を連れ帰ってきてくれる物語のすばらしさ

金柿:角野さんのお父様は、よくリズミカルな言葉を口にしていたそうですね。

角野:「ちこたん、ちこたん、ぷいぷいちこたん」っていう、父が作った子どもをからかう囃子詞とかね。意外と、父の言葉には創意工夫がありました。
私の娘は、おじいちゃんが折り紙を折るときに「一つ折ると几帳面」と言いながらやっていたのをよく覚えていて、今でも折り紙を折るときにそう思っちゃうって言っています。娘だけでなく、甥や姪、孫もそういう風に覚えていますから、大人と楽しい時間を過ごした言葉というのは不思議と伝わり、残っていくものですね。

 

素敵な赤い壁の部屋は、角野さんが絵本作りをする場所でもあります

金柿:そういう家族だけの言い回しって、大きくなってからも忘れられないフレーズで、すごく素敵だなと思います。言葉のおもしろさが子どもと過ごす日常にあれば、物語はいらないのかというと、そうではないですよね。
角野さんは、どうして子どもに物語を贈りたいと思ったのですか。

角野:物語ってね、ここではないどこかに行けるんです。母を亡くした後、父が一生懸命私たちをかわいがってくれましたが、やっぱり寂しいんですよ。
そんなとき、「わたしが家出をすると、親切な人にかわいい子だねとか、きみは幸せな子だねとか、言わるんだ、きっと」なんて空想すると、自分が本当にすごく幸せな小さな女の子になった気がして、だんだん元気になる。それはね、読書が私たちの心にもたらす影響に近いものだと思います。
物語を通じてここではないどこかに行って、自分というものを見つけて帰ってくる。帰ってきたときに、また違う自分というものが、そこにある。物語を読んでから時間が経っても、そのときに持って帰ってきた自分はずっと自分の中にあり続けるんです。

だから私はいつも、「物語は、読んだらその人のものになる」と言っています。読書は楽しいものですよね。決して勉強ではないし、楽しくなかったら読まなくたっていいんです。だけど、楽しいからその人は物語に入り込んで、想像力と一緒に、物語を自分のものにしていくんです。それは同時に、その人の言葉にもなっていって、辞書のように体の中に積もっていく。
そうしてできあがった辞書の言葉が、あるときヒュッと出てきたり、人と付き合うときに豊かな表現でお話しできたりして、広い世界につながっていく。私はそれが、その人の一生にとって、「楽しい」ことではないかと思うんです。

金柿:その人の中にできた辞書が、なにかの拍子に出てくるというのは、ぼくも自分の娘を見ていて感じたことがあります。
娘は、『げんきなマドレーヌ』(福音館書店)が大好きだったので、「2列」という言葉を聞くと、すぐに「2列になってパンを食べ、2列になって歯を磨き」というフレーズを口にしていて。たったそれだけのことなんですが、それを聞くたびに、家族みんなでその本を読んだことを思い出して、すごく豊かな気持ちになりました。

角野:そういう力が、物語にはあると思います。

自身の子育て経験を交えて、角野さんにおはなしを伺いました

金柿:そうなんですよね。ただ、そのときぼくは、読む人によって物語の捉え方がだいぶ違うなとも感じたんです。
例えば、身近な人が亡くなったり、友だちとうまくいかなかったりしたときに、寂しいという物語に浸る人もいれば、「あの物語に比べたら、これってそんなに寂しいことじゃないのかな」と思う人もいる。自分の中にたくさんの物語を持っていると、その物語たちに照らし合わせて解釈の選択肢が増えるんじゃないのかなと思って。

───角野さんは、著書『トンネルの森 1945』(KADOKAWA)では、楽しいことだけではなく、悲しいことや辛いことをストレートに表現なさっています。悲しみや辛さを物語で書くのは、なぜでしょうか。

角野:私が思うに、悲しみっていうのはすごいパワーがあるんですよ。なんていうのかな……悲しいということはネガティブなことのように思われるし、実際に悲しみで心を折られることもあるけれども、やっぱり悲しみにも人を生かしていく力があると思うんです。
悲しいことや辛いことがあると、その時はべちょべちょになってしまうかもしれない。でもそれが過ぎてしまったときに、その悲しみや辛さが、逆にすごいパワーを与えてくれるはずですよ。人間ってそんな風にできているんじゃないでしょうか。ありがたいことにね。そうじゃなくちゃ、生きていけないんですよ。

金柿:そうなると、辛い物語を読むことで、自分の中に眠っているパワーに気づくことがあるかもしれませんね。
『トンネルの森 1945』は、角野さんの体験が元になっているので、戦時中の生活がすごくリアルで、その辛さが伝わってきます。でも、主人公の女の子・イコが、怖くて仕方がないと思っている森で起きることが、ふっと現実の世界から抜け出すような感覚になって、不思議だなと感じました。

角野:そう。暗い森は、イコにとって怖いものであると同時に、慰めでもあったわけですよね。そこに、自分の気持ちをわかってくれる「何か」があるかもしれないというのも、ひとつの慰めになるんです。怖いものって、なんだろうと想像力がかき立てられますよね。真っ暗だったら、その中に何がいるんだろうって。
そういう風に、ネガティブなものにも力がある。もちろん、喜びにも力はありますが、もしかしたら、ネガティブなものの方が、人の心を突き動かす力が強いかもしれません。

金柿:ぼくは怖いものが苦手ですが、子どもは怪談や恐怖体験のおはなしがすごく好きですよね。

角野:そうなの。でも、怖いまんまじゃダメですね。最後にふっと息をつけるようなものが、小さな方への物語には絶対に必要なんです。最後に心をほっとするものを置くことによって、読んだ後にその子の心が動き出すわけです。
私も、死んだ人が怖かったですよ。母の死んだ姿や火葬場でお骨を拾ったことはよく覚えていますし、骨壺が並んだ真っ暗なお墓の中に母が入っていくと思うと、すごく怖かったです。

金柿:ぼくも祖父が寺の住職だったので、その怖さがよくわかります。

角野:でも、今までいた人がいなくなった事実が、逆に「どこに行ったのかしら?」と限りない想像の源になるんですよ。
お盆になると父が、「お母さんが帰ってくる」と言うんです。お迎えの火を焚きながら、まるで母がそこにいるかのように、「増築しましたから、曲がる角を間違えないように、お仏壇まで行ってくださいね。お足元にお気をつけください」って。そうすると、私は母が本当に帰ってきているんだなと思って怖くなって、でもお母さんの前では良い子にしなくちゃいけないとも思うんです。それで、お盆が終わって送り火を焚いてお帰りになるとホッとして、またいつもの日常に戻るんです。

金柿:まさに「行って帰ってくる」物語、そのものの体験ですね。

角野:そう。そういう心の動きが、生きる力になるんだと思います。私は、「行って帰ってくる」物語を書きたいと思っているから、行く場所は不思議なところにしたい。限りなく日常に近いんだけれども、ちょっと心がわくわくするとか動かされる、そういう世界があなたのすぐ隣にあるんだよという物語を書きたいと思っているんです。
今回「国際アンデルセン賞」作家賞の選考過程を伺うと、私がそうやって常日頃かんがえていることをきちんと読んでくださっての受賞だということを感じ、とても嬉しく思いました。

 

幼年童話は「聞き書」から「読書」への橋渡しをしてくれる

金柿:話は少し変わりますが、角野さんがお子さんに読んであげた本で、印象に残っているものはありますか?

角野:そうですね。『まりーちゃんとひつじ』や『ちいさいおうち』、『おさるのジョージ』(全て岩波書店)などは、全部読みました。

金柿:読んでいるときは、角野さんご自身も楽しんで?

角野:そうね。さっきおしゃったように、日常の中に「ねえ、ぱたぽん」なんて言葉が出てきたりしましたよ

金柿:物語を書くときにも、「声に出したらおもしろいな」という風に考えていますか?

角野:ええ、もちろんそうですよ。おもしろい言葉1つで作品の印象ががらりと変わっていくことがあるし、ちょっと小耳に挟んだ言葉を「あの言葉が使いたいから、こんな話を書いてみよう」という風になったこともあります。
子どもは、声に出しておはなしを読みますよね。私は、読み聞かせもすごく良いと思うんですが、自分で読むという時期を過ごさないと、本が好きにはならないと思っているんです。

金柿:どうしてでしょうか?

角野:読み聞かせは「聞き書」であって「読書」じゃないんです。「聞き書」から「読書」への橋渡しのをするのが、幼年童話の役割だと思うんです。
だから、短くて、自分で最後まで読めるのがとっても大事。そんな想いもあって、私は幼年童話もすごくたくさん書いているんですよ。

───角野さんの幼年童話といえば、「小さなおばけ」シリーズ(ポプラ社)をはじめ、『ハナさんのおきゃくさま』(福音館書店)、「アイウエ動物園」シリーズ(クレヨンハウス)、「おばけとなかよし」シリーズ(小峰書店)など、どれも人気シリーズばかりですね。

>>角野さんの作品をもっと知りたいという方は、こちらの記事もお読みください。

約40年にわたって愛されている「小さなおばけ」シリーズ。角野さんのアトリエには、おばけのアッチのぬいぐるみが飾ってありました

金柿:数々の名作には「読書」を楽しんでもらいたいという、角野さんの想いが込められているんですね。

角野:ええ。自分の力で一冊読み終えたという満足感は、子どもにとってすごく大きなことなんですよ。声に出して読むでしょう? だから私も、書いたら声に出して読みます。この時期に読む本は、本当におもしろくないといけない。お説教くさいものだったら、ダメよ。

金柿:ぼくたち親からすると、読み聞かせを卒業したら、すぐに児童文学を読んで欲しいなと思ってしまうんですが……。

角野:「読めた」っていう達成感が大事だから、実年齢と対象年齢に差があったって、子どもが読みたいという本でいいと思いますよ。

金柿:子どもが「本を読みたい」と思うきっかけづくりは、どんな風にしたらいいと思いますか?

角野:そうですね。私なら、おはなしを読んで「すごくおもしろかった」という風に言って、ちょっとぐらい話をしてあげて、「あとは自分で読みなさい」と言うかしら。大人が本を読んだっていいんですよ。その姿を見た子どもが、「なに読んでいるのかな?」と思うじゃないですか。

金柿:大人が本を楽しそうに読んでいるという姿を見せるのも、大事なんですね。
ぼくが娘に絵本を読んでいるときも、やっぱり自分が楽しいという気持ちがありました。逆に娘は、僕が絵本を読んで楽しそうにしているのを見ていて、自分もおはなしを聞きたいし、自分で読めるようになりたいと思っていたようで、その頃に読んだおはなしはすごく印象に残っているみたいなんです。

角野:だからやっぱりね、子どもに本を読んでもらいたいと思ったら、まず大人が本を読む姿を見せるのが一番だと思いますよ。

金柿:それで思い出しましたが、娘がまだ小さい頃に、『チョコレート工場の秘密』(評論社)のさわりの部分を、一緒にお出かけしたときに話したことがあったんです。そうしたらすごく興味を示して、「続きの話が知りたい」と言って、自分で本を読み出したんです。
そこから、作者であるロアルド・ダール作品を全制覇したので、親が自分の子どもに合ったきっかけを与えてあげるというのも、よい方法になりますね。

角野:そうね。別に、本を読む方向に行かなくても、思い出に残る「何か」にはなりますよね。思い出は生きる力になるでしょう?

───思い出は、自分がやってきたことや見てきたものの「記憶の塊」ということですね。角野さんが最初におっしゃっていたように、記憶はその人の中で辞書になり、辞書が豊かになることが生きる力につながるんですね。

角野:そう。『わたしを わすれないで』の翻訳を引き受けたのも、そこなんです。
『わたしを わすれないで』は、大好きなおばあちゃんが認知症になって、いろんなことを忘れていってしまうという悲しい話なんですが、悲惨ではありません。そして物語が終わった後に、残された家族の暮らしに続くようなエンディングがいいなと思ったんです。

物語は、おばあちゃんが病気でだんだんと変わっていく様子を、孫である「わたし」の視点で描いています

金柿:続きがあるって、すごく期待が持てますよね。角野さんが、お父様のおはなしの「また今度」が楽しみだったというのと、同じような感覚でしょうか。

角野:そうね。物語には終わりがあるけれども、終わってから開く扉があるんです。それが『わたしを わすれないで』には、ちゃんとあって。認知症のおばあちゃんの様子をずっと見ていた子が、「これからどうやって生きていくか」というのは、物語からくみ取れますよね。
この本はフィクションですが、今の時代から見ると、ノンフィクション的な要素があります。そういう意味では、同じような状況にいらっしゃる方が、物語を通して、自分の中の生きる力を見つける助けになるのかもしれません。

金柿:それこそが、物語が持つパワーなんですね。今回は、親子での絵本楽しみ方や、角野さんが物語づくりに込めた想いなど、いろいろなお話しを聞くことができて、とても楽しかったです。ありがとうございました。

 

取材・文: 掛川晶子、中村美奈子(絵本ナビ編集部)
写真: 所靖子(絵本ナビ編集部)

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