●2冊目が一番苦労しました……。『さよなら ママがおばけになっちゃった!』
『ママがおばけになっちゃった!』、待望の続編です。 きょうは ママの おそうしきです。 おばけになって、かんたろうのもとへ現れていたママですが、ほんとうにお別れの時がやってきました。 目に見えなくても、ママはかんたろうのそばにいる。 「ママが かんたろうの なかに いる こと、おもいだして ほしい。それ なら ママと あえなくても へいきでしょう?」 そう問いかけるママに、かんたろうは思わず叫びます。 「え! なんだよ! なんなんだよ! あえなくて へいきな わけ ないじゃん! ひどいよ、ママ!」 辛すぎる別れと、母子はどのように向き合うのでしょうか。
───そして、今回出版されるのが『さよなら ママがおばけになっちゃった!』。『ママがおばけになっちゃった!』の続編なんですよね。一冊で完結しているおはなしだと思っていたので、続編が出版されることにまずびっくりしました。いつごろから、続編を考えていたのですか?
おはなしを作りはじめたのが2015年10月ぐらいだったと思います。ぼくも、『ママがおばけになっちゃった!』の続編を描くことになるとは思ってもいなかったので、どうしたらいいか、すごく悩みました。それで、絵本作家の先輩でもある、きむらゆういちさんに相談したんです。
───きむらゆういちさんは「あらしのよるに」シリーズ(講談社)や「赤ちゃんのあそび絵本」シリーズ(偕成社)を描かれている絵本作家さんですね。どうして、きむらさんに相談したのですか?
以前、きむらさんから「『あらしのよるに』は一冊で完結していて、続編を描くつもりじゃなかった。だから、2冊目を描くときが一番大変だった」というおはなしを聞いたことがあったんです。今のぼくと同じ状況だと思ったから、どうやって2冊目を思いついたのか、教えてもらおうと思いました。
きむらさん以外にも、漫画家さんにも話を聞きました。漫画家さんって、連載を続けていて、どんどん次の設定が思い浮かぶじゃないですか。そういうすでにシリーズものの作品を作っている先輩たちに、続きを生み出すための発想やアイディアを相談しました。
───そして、ママのお葬式からはじまるという、展開を思いついたのですね。
そうです。まず、警察の方に、交通事故を起こしたときの被害者の方のお葬式までの流れを聞きました。
普通、人は亡くなったらすぐにお通夜、お葬式となりますよね。でも、交通事故の場合、他殺の可能性も考えて、一度検視が行われるのだそうです。そのため、一晩は検視で戻ってきません。そのあと、お通夜、お葬式となるので、事故が起きてからお葬式まで、最低3日はかかるのだそうです。その話を聞いたとき、ママのお葬式からおはなしをスタートさせる以外考えられないと思いました。
───花に囲まれた祭壇やママの遺影、お葬式が執り行われている最中の人々の様子など、とても分かりやすく描かれていると思いました。生きている人の様子と、ママの軽快なツッコミのギャップに、不覚にも笑ってしまいます。
前半部分は一作目同様、笑ってほしいと思って描いています。実は、ママがおばけになって自分のお葬式を眺めるというエピソードは、ぼくの子どものときの体験を元にしています。
───子どものときの体験ですか?
先ほどもお話ししましたが、実家が教会でお葬式がよく行われていました。あれは、ぼくが3、4歳くらいのことだったと思うけれど、お葬式をやっていると、棺桶の上のあたりにボヤーっと霞んで見えるところがありました。まるで、誰かが棺桶の上に座っているみたいでした。それがずっと不思議でしょうがなくて……。ここからはぼくの想像なのですが、ひょっとしたら、死んだ人が自分のお葬式に参加しているんじゃないかと思うんです。それが、あのボヤーっとした霞だったんじゃないかと。
───おばけになって、自分のお葬式に参加するんですか?
気になりませんか? 自分のお葬式に誰が来ているかとか、だれが泣いてくれているかとか……。つまりそれは、生きているときに、どんな人と出会って、交流して、生活していたかという、生前の行いを見直すことにもつながってくるんじゃないかと思います。だから、ショッキングな展開を狙うためにお葬式を冒頭に持ってくるのではなく、ちゃんと意味のあるお葬式にしようと思いました。
───ママも自分のお葬式を見ながら、「あたしでも いなく なったら、かなしむ ひと こんなに いたんだ。」と自分の友達や周りのことを振り返っていますね。そして、お葬式が終わった夜の12時、ママは再び、かんたろうの前に表れます。
一作目でママと別れてから、お葬式までの2日間、ママはかんたろうのところには訪れていないんです。かんたろうはもうママと会えないと思っている。だから、3日ぶりにママに会えて、泣き出してしまいます。
───ママは自由自在にかんたろうの前に現れることはできないんですね。『ママがおばけになっちゃった!』の最後に「ぼく、がんばって みる。ひとりで やれるよ」と言っていますが、やはりまだ4歳。ママが恋しくてたまらないんですね。
そうなんです。かんたろうはあれからママと会っていないから、不安な感情があふれ出ているんです。
───一作目と比べて、『さよなら ママがおばけになっちゃった!』のかんたろうは、より自分の気持ちに素直なように感じました。
まさにその通りで、今回、ぼくが一番うまく描けたと思っているのが、かんたろうとママが一緒に鏡を見ている場面から、ママが「しぬのなんか やーめた」という3場面なんです。
───作品の中でもクライマックスに向けて、盛り上がる場面ですね。かんたろうとママが鏡を見ながら、お互いに似ている部分を見つけるやり取りはとても微笑ましく感じました。
このエピソードは、いろいろな人の前でラフの読み聞かせをしているときに、ある女性から聞いたんです。その人は小さいころに父親を亡くしているのですが、子どものころ、お父さんと一緒に鏡を見ているときに言われたそうなんです。
「お前とおれの顔は似ているだろう。だから、もしおれが死んでも、お前の中におれはいるんだよ」って。
そのエピソードを聞いたときに、ぼくは子どもたちのことを思いました。ぼくには、息子と娘がいますが、ふたりともぼくそっくりなんですよ。だから、もしぼくが、この世から去ってしまっても、ふたりの中にぼくは生き続けているなと思ったんです。
───まさに、かんたろうとママのエピソードそのものですね。
それから、かんたろうがママと会えなくなることが嫌で、「ダメな こに なって やる!」と泣く場面。これは一作目からの反動で描きました。
───反動ですか?
一作目のかんたろうは、とてもいい子なんです。ママの言うことを聞いて、「ぼく、がんばって みる。ひとりで やれるよ」と言う。
でも、2冊目を描こうと思ったとき、このセリフは嘘だと思ったんです。嘘、というより、精いっぱいの強がりかな。だって、かんたろうはまだ4歳ですから、できないこともたくさんありますよね。でも、もうママはいないから、「がんばって みる」としか言えなかった。とってもいい子なんです、かんたろうって(笑)。
『さよなら ママがおばけになっちゃった!』を描いているとき、かんたろうがいい子のまま終わるのはおかしいと思いました。うちの子だったら、ママに「ママと あえなくても へいきでしょう?」なんて言われたら、絶対にキレるなと。だから、かんたろうがキレたら、ママはどうするんだろうと思って描いた場面なんです。
───そして、のぶみさんがうまく描けたというページの3場面目「しぬのなんか やーめた!」というセリフにつながっていくんですね。
そうです。かんたろうがキレたら、ママはどうするかなと思ったとき、「しぬのなんか やーめた!」という言葉が自然と出てきました。そのあとすぐ「もう死んでるのに、おかしいだろ!」ってツッコみましたけどね(笑)。
でも、この言葉以外、ぴったりと合う言葉が浮かんでこなかったんです。ぼくだってそう言うし、多くのお母さんたちも、生き返ることはできないと分かっていても、言っちゃうと思います。
───ママの思いが、最もこもっているセリフなんですね。