●伝わる歓びがなかったら、つまんないじゃない。
───型染や、『旅の歓び』(用美社、1986年刊)のような世界の旅からインスピレーションを受けて制作をしてこられた柚木沙弥郎さんの作品には、おしゃれでモダンでインターナショナルなイメージがありました。
柚木さんが学生時代を過ごされ、ご縁のある長野県松本市では、開運堂(老舗菓子店)や、ちきりや工藝店など、街中のいたるところで柚木さんの素敵な作品に出会えます。
今回宮沢賢治の「雨ニモマケズ」を描かれると聞いて、いったいどんな絵本ができるんだろうと思っていました。
柚木:僕もどんなふうになるかと思ったの。わかんないもんだね。できてから「ああ、いいな」と思ったの。見たとたんに、いっぺんに、松田さんも「いい!」って言ってくれたの。いいでもない、わるいでもないだったら僕も困るよね。人間だから。編集者に喜んでもらえると僕は嬉しい。これは金銭ではないですね。歓びがなかったらつまんないじゃない。
生活の「実感」ってものが今はなくなっちゃった。スマホをのぞきこんでいるよりも、直に作品や素朴なおもちゃに出会ったり、人としゃべったり、たとえば人が歩いているのを見ているだけでも、そのほうがおもしろいじゃない。「実感」というものがなくなると、感情がみんな鈍化してきちゃうんだよ。
ついこないだ、宮沢賢治さんの実弟の清六さん(宮沢賢治作品の紹介に力を尽くした。著作に『兄のトランク』がある)のお孫さんで、宮沢和樹さんという人がいるのね。その人がうちに来たんだけど、しばらくおしゃべりしてって、帰るときルンルンして帰ったっていうのね。
───宮沢和樹さん、岩手県花巻市で「林風舎」を営んでいらっしゃる方ですね。清六さんの継承者で、『雨ニモマケズ』の巻末に文章を寄せていらっしゃる。
松田:もう夜遅かったから、宿泊先のホテルまで車で送りましょう、といったら、「いや、歩いていきます」って。柚木さんとお話してすごく楽しかったみたいで、てくてくと嬉しそうに歩いて帰っていかれました(笑)。
柚木:……今から十何年前に、妻が亡くなってね、そのときに松田さんは、花を一輪持って来てくれたんだよ。そのときちょうど一緒に仕事をしてたってわけじゃないんだよ。周りの人は、妻が亡くなったからこれからどうするのか、悲しいでしょうとか言う。そりゃ人並みに悲しいけど、どうってことはないし大変だなとも思わなかったの。ただ家の中がすかすかしていたときだね。そのときに、花を持ってきてくれた。
それから『魔法のことば』もね。あの絵本のテキストは松田さんから舞い込んできたんだ。誰でもそうだけど、オファーがあると喜ぶんですよ、人間というのは。
松田:語弊があるかもしれませんが、たとえば、アーティストと呼ばれる方の中には、アートは「自己表現」だから、人にわかるかどうかは問題ではないというように見える方もいますよね。でも柚木さんは、先ほどもおっしゃっていましたけど、「伝わるかどうか」を常に考えておられます。「仕事の依頼があって、だれかが僕を求めてくれているからそれに応えるんだ」と。「伝わらなくちゃ、おもしろくないよ」と。その価値観は民藝や工芸の世界でスタートを切られたことと関係があるのでしょうか。
柚木:僕が仕事をはじめたときに、民藝をやっている人たちは、「職人」と呼んだらいいのか「アーティスト」と呼んだほうがいいのかわからなかった。二つが混ざり合って……、けっこうな作品を作っているすごい人が「おれは職人だ」なんて言うんだけど、ほんとかなあと思ったりしてね。
フランスに行ったとき、「私は、アーティストなのかアルチザン(職人、工匠)なのか、どちらを名乗ったらいいのでしょう」と聞いてみたの。すると相手のフランス人が「そりゃあ、きみが決めることだ」と言うんだよ。
そんなこと、たずねるまでもないことでね、大事なのは自分。自分が決心しなきゃいけないんだ。どう呼ばれるかは、本人の決心とは別のことだよ。僕はそういうところから出てきたからね……。
───柚木さんは、アーティストであり、依頼があったらそれに応えるアルチザン(職人)なんですね。
柚木:そう。おもしろいじゃない、そのほうが。
めんどくさいから肩書きを聞かれたら「染色家」って言ってるけど、何でもいいんですよ。傲慢なように聞こえるかもしれないけど、本来はそうだと思うんだ。岡本太郎なんて「職業は人間だ」って言うでしょ。今の時代はあんまり分化しすぎちゃってるから。
松田:それと、これも以前、柚木さんがおっしゃっていたことなんですけど。―――「僕にはね、ファンでいてくれる人たちがたくさんいるんだけど、たまにいるんだよ、『柚木先生、もう絵本‘なんか’なさらないで、本来の創作のほうにお時間を使われたらいいのに』って言う人が。だけどそういう人たちはね、絵本が、どれほどすごいものなのか、どれほど難しいものなのか、知らないんだよ」と。「だから、松田さん、またやろうね」って言ってくださったのが、心に沁みました……。
柚木:絵本と型染めなんかの作品を比べて、どっちがどうだとか、工芸は絵画より下だとか思っている人は今でもいるんだよ。上とか下とか、そういう社会の考え方からして変えなきゃ。
●雨も、風も、賢治は敵だと思ってないと思うんだよ。
───柚木沙弥郎さんご自身が今までに出会った印象的な絵本はありますか?
柚木:子どもが小さかった頃、絵本をよく買っていたんですよ。今の絵本はあまり知らないけど、丸善という店に外国の絵本がいっぱいあってね。昔の絵本には、とってもいいものが多かったねえ。
ドイツ語やフランス語は、内容はわからないけど、絵だけ見て、子どもより大人の僕が「いいなあ」と見ていました。
うちの子どもたちは『ちびくろ・さんぼ』(岩波書店、後に瑞雲舎)や『山のクリスマス』(岩波書店)を、表紙がとれるくらいよく見ていましたよ。アメリカも戦後すぐの頃は平和で、絵本が楽しくて……。同じ作家の絵本でも後年のものは絵が上手になりすぎちゃってあまりおもしろくないね。
───上手になりすぎちゃっておもしろくない、ですか?
柚木:丁寧になっちゃってる。型みたいなものになっちゃうんだな。スタイルができちゃう。そうなりそうなときは、そのたびに、僕は手で描いたり型紙を使ったり切り口を変える。僕だってマンネリになるけど切り口を変えますよ。
松田:今、絵が上手な人はたくさんいるし、しゃれた絵の人もたくさんいるけれど、ふと「……何かが足りない気がする。何だろうか」と思うこともあって、そのあたりのことを、ずっと考えています。それはもしかしたら、人にむかって深く何かを差し出したいと願う「祈りのようなもの」かもしれない、「こころざし」のようなものなのかもしれない、と……。
柚木:「黒雲の中にも光がある」んだよ。だからあかるいんだよ。賢治はね、当時の東北や人々の悲惨さを見ていると思う。けれども賢治は非常にあかるい。みんなをあかるくしたかったんだと思うんですよ。
おそらく今の人たちは忙しすぎて、映像でも何でも瞬間的に過ぎていくでしょう、気の毒といえば気の毒だな。全体がそうだからどうしてもそうなっちゃう。昔の本を見ると、昔の本は時間をかけて作られていると思いますね。具体的な時間じゃなくて、信念みたいな、自分のもっているものを出し切っていて、それが本の中に入っている。
今はそれが少ないんじゃないかな。賢治童話の中にあるような芯というか、核がないの。
でもね……、3.11の震災以降、自分たちが今どういう位置にいて、どう生きているのかを、少しは考えるようになった。震災は大きな転機だったと思いますね。
だけどね、僕は思うんだけど、賢治は災害のようなものを敵だと思っていないと思うんだ。
───雨も風も、夏の暑さも、「敵」ではない、と。
柚木:実際は、賢治は体が弱いから、雨が降って濡れたら困るのよ。でもね……敵ではない。仲よくやっていこう、折り合いをつけていこうという気持ちがあったと思うんだよ。東北の人はそうせざるを得なかった。
2013年の「いのちの旗じるし」展は、震災の前に企画したことだけれどね。これはひとごとでないっていうか……作品を作る過程で、そんなことを余計に感じました。
人間はそれぞれの場所で、いっしょうけんめい自分の仕事をするんですよ。ただ雇われて、それをこなしていればいいというのじゃない。誇りをもって、どんな仕事も自分で作りださなくちゃ。
一日のうちにおもしろいことが何かひとつあればそれでよし、と、する。そういう瞬間が積もって、人生って、できていくんじゃない?
松田:柚木さんは私にとってのまさに「いのちの旗印」です。「よし、あそこまでいくぞ!」と励ましのような存在なんです。「柚木サンノヨウニ……、ソウイウモノニ ワタシハナリタイ」と思っています。本当に。
―――ところで、「決シテイカラズ イツモシズカニ ワラッテイル」のページの絵なんですけど、柚木さんが描かれたのはわかりやすい笑顔ではなくて、すべてを吸い込むような、見通しているような、埴輪みたいな顔でしょう。この絵を見たとき、ふっとビートルズの楽曲 The Fool on the Hill を思い出しました。世界を丘の上の馬鹿がぜんぶ見てる、って。みんながバカにしている人がいちばん哲学者で、すべてをわかっているというような曲です。
この絵を見ながらよく「決シテイカラズ」と自分に言い聞かせたりしてます。ほんとは怒りたくなることもあるんですけどね(笑)。
柚木:僕もそうですよ。嫌なことも、本当はあるもの。
───柚木さんにとって「ソウイウモノニ ワタシハナリタイ」の「そういうもの」って何でしょうか。
柚木:おもしろくしたい。楽しくしたいですね、自分も人も。
今は経済的には豊かに見えるけど、ほんとはみんな貧乏なんだよ。地方に行くとどこの街もコンクリートだらけ。グローバルっていうのはアメリカやどっかの政府の政策ですよ。それにまんまと世界中が引っかかっちゃっておもしろくないですよね。弱肉強食でしょ。弱いところはみんな仕事がなくなっちゃう。
だから僕らの仕事は、政治とは逆のことをやる。文化ってそういうものだと思うんです。
役に立たないこと。でもそれが、いちばん役に立っているんですよ、本当は。
───今、おもしろいことはなんですか。
柚木:ここで出会って、こうして話していることだよ。あとは、この船みたいなおもちゃ。近くのお店で見つけた、今のお気に入りですよ。色々おもしろいのを置いてる店だから、あとで行ってごらんなさい。
───行ってみます。きょうはありがとうございました!
[柚木沙弥郎さんに「民藝」との出会いについてお聞きしました]
───民藝の方のなかでは、最初に柳宗悦さんと親交ができたんですか?
柚木:「親交」って言うと対等みたいに聞こえるけどね、そういうことじゃないですよ。
当時戦争で東京の家が焼けて、親父の実家の、岡山の倉敷にいてね。大原美術館で働いてたときにそこの館長さんが柳宗悦先生に紹介してくれたの。そのあと芹沢_介先生のところへ行って弟子になった。だから偶然といえば偶然だけど、僕は「いい“山脈”」にぶつかったんだなあ……。みんな当時は若いもの。死んじゃったあとに文献みたいなので知るのとはちがう。だから今、あなたたちと僕とがこうしてお話しているのは、いわば「奇跡」だよ。
柳宗悦先生、芹沢_介先生、濱田庄司先生……。今の人は、本人に会えないのが残念だね。彼らはとにかくオーラがあってね……。大原美術館をやめて東京に出てきて、僕みたいな若い者らが柳さんが開設した「民藝館」に陳列の手伝いや何かで行っていると、濱田庄司が六本木のデリカデッセンという菓子屋のチーズケーキをおやつの時間に持ってくるんだよ。みんなチーズケーキなんてほとんど食べたことない時代ですよ。そうしてチーズケーキを食べながら濱田庄司が話をするんだ。
親友のバーナード・リーチと一緒にイギリスのセント・アイヴスに行って一緒に窯をつくって焼き物を焼くって。それはおもしろい経験だよね。でもリーチが「自分は貧乏だからいろんなところを濱田に見せたいけれどもあちこち旅行する費用がない、気の毒だ」と濱田さんに言ったんだそうですよ。そしたら濱田庄司はね「いや、僕はセント・アイヴスの漁村に暮らす人たちがいかにつつましく健康に暮らしているか、食器や建物や家具を見ただけで十分だ」と言ったと言うんだな……。
他にもね「あるときセント・アイヴスの丘の上で昼寝をしてたらカッコウが鳴いたんだ」と濱田さんが話すんです。「そのときに、ああ、自分はイギリスの、今、ここにいるんだ、と感じた」と言うんだよ。
あの人はものすごくストーリーテラーっていうかな。話が好きで、うまいんだ。僕らは、チーズケーキでだまされて仕事をしながら、それを聞いている(笑)。ほら、またはじまった、って、同じ話ばっかし(笑)。でもそういう話が好きだったし、おもしろかったねえ……。
当時の日本は、焼き物(陶器)は輸出していたくらいだし自慢だったから、イギリスになんか陶器の勉強に行く必要はない、と周りでは言う人もいたらしいけどね。濱田は「イギリスから逆に〈日本の物作り〉を見るんだ」と言っていましたね。
僕が最近とても嬉しかったのはね、2007年くらいにイギリスに行って、ヴィクトリア&アルバート博物館に行ったとき、「日本の民藝」の展覧会を見たときですよ。
ちょうど、イギリスの有名なデザイナーであるウィリアム・モリスの展覧会もやっていて、そういう展示をずーっと見ていったら、最後の部屋がどこよりも広いスペースをとってあって、濱田庄司や河井寛次郎……、つまりヴィクトリア&アルバートが所蔵している日本の「民藝」が並べられていたの。その部屋がいちばんユニークだった。すごいなあと思った。嬉しかったし誇らしかったですよ。
インタビュー・文: 大和田佳世(絵本ナビ ライター)
撮影: 所靖子