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絵本ナビホーム  >  スペシャルコンテンツ  >  インタビュー  >  賢治がのこした祈りのことば『雨ニモマケズ』柚木沙弥郎さん×松田素子さんインタビュー

大事なやつ、難しいやつは、いつも僕のところに持ってくるんだよ。

───そもそも、宮沢賢治シリーズのなかで「雨ニモマケズ」を柚木沙弥郎さんが描くことになったのには、どんないきさつがあったのですか?

松田:宮沢賢治の絵本シリーズ(ミキハウス)に『雨ニモマケズ』を入れるかどうか、実は決めていなかったんです。教科書的に使われる「雨ニモマケズ」には、なんだか「がまんしなさい」と言われているみたいだと感じるところがあったということもありますし、物語ではありませんし、絵本化の決心がついていなかったんです。

そんなところへ2011年の東北の震災があった。翌年、被災地の子どもたちを前に、賢治について話す機会をいただいて……、話す代わりに贈るものをと思って、賢治さんの言葉をあつめた手作りのファイルを作っていったんですが、私はその中に「雨ニモマケズ」の全文を、あえて入れなかった。入れたのは最後の言葉「ソウイウモノニ ワタシハナリタイ」という言葉だけで、その理由を子どもたちに話したんです(>>詳しくはこちらのインタビューをご覧ください)。そのときに考えたことを通して、「雨ニモマケズ」という言葉や賢治さんの祈りのようなものが、私の心の奥に素直に、すとんと落ちたんです。

柚木さんとは『魔法のことば』 『せんねん まんねん』と2冊の絵本でお仕事をしていましたし、正直に告白すると、90歳を越えられていることやお体のこと、柚木さんが精魂傾けておられた海外での作品発表に関わる時間のことなんかを考えたら、そんなところへ私が、一冊分の絵本の仕事をお願いして割り込んでもいいのかどうか……、勝手に遠慮する気持ちがあったんですね。
でも2013年に、世田谷美術館で開催された「柚木沙弥郎 いのちの旗じるし」展を見ているうちに……、つい最近製作された作品をふくめて何周もぐるぐる見てまわっているうちに、胸がドキドキしてきました。私は何を勝手に決めつけていたんだろう……と。いてもたってもいられない気持ちになって、展示室を出てすぐ、柚木さんに電話をかけました。「お願いしたいことがあります」と。そうしなくてはおれなかったんです。
具体的なことは、その後から考えました。そして、「そうだ! 『雨ニモマケズ』だ」と思いました。柚木さんとの仕事は『雨ニモマケズ』以外にないと思ったんです。

───柚木沙弥郎さんはなんとおっしゃいましたか?

松田:宮沢賢治シリーズの一冊を描いていただきたいと言ったとき、「でも、いいのはみんなもう他のひとが描いちゃったんでしょう」とおっしゃいました。それで「お願いしたいのは『雨ニモマケズ』です」って言いました。そしたら、にこっと笑って「残りものには福があるね」って(笑)、おっしゃいましたよね、柚木さん。

柚木:そう言った? いや、「残りもの」ってわけじゃないよね。松田さんはね、いちばん大事なやつをいつも僕のところにもってくるんだよ。(大事なやつは)いろいろあるんでしょうけどね。その中のどれか。いちばん難しいのを持ってくるのよ。

───それが柚木さんにはわかるんですか?

柚木:わかるよ。

松田:ええ、もちろん「残りもの」なんかじゃないです。私のなかでずっと腑に落ちなかったもの、それはきっとすごく大切で重要なことだったからこそ引っかかっていたものが、あるとき心の中にストンと落ちて、ああ、この言葉を絵本にしたい、そして、描いていただくのは、柚木沙弥郎さんだ、と思った。

『魔法のことば』のときも似た経緯でした。私は数年間、そのテキストを絵に描いてくださる方を探していたんですが、柚木さんの絵を見たとき、「この人だ!」と思ったんです。
まど・みちおさんの『せんねん まんねん』については、最初にお願いしてから絵本の形になるまで13年かかりましたね(笑)。最初は断られたんです、この詩を絵にするのは難しいよって。それなのに、あきらめの悪い私がずっとお願いしつづけていたら、「松田さん、執念だね」って柚木さんに言われて、「僕ももう80歳過ぎたし、役に立たなくちゃ……」と描いてくださることになりました。


賢治がのこした手帳「雨ニモマケズ」の複製(制作:林風舎)。

賢治の文章って、透きとおってあかるいでしょう。好きなんだよ。

───宮沢賢治作品を最初に描いたのはいつですか?

柚木:岩手県盛岡市にある光原社(賢治生前の童話集の発行元であり、現在は民芸品店と珈琲店になっている)に、もうお亡くなりになったけれど、及川四郎さんという方がいてね。彼は宮沢賢治が通った盛岡高等農林学校の賢治の1学年下の同窓生だったんだけど、その人から1969年に「注文の多い料理店」の絵はがきの絵を描いてくれって言われたの。それが最初。
もうあれから50年近くになるね……。こんど光原社の創業130年記念に、あの絵はがきを復刻するって言っていましたよ。

───それは楽しみです! 依頼されたとき、宮沢賢治を知っていましたか?

柚木:知っていたし読んだことはあったけど、読み流していたんだと思いますね。絵はがきを作るとなって、はじめて童話集『注文の多い料理店』をちゃんと読んで、いっぺんに好きになったね。
あの本の序の文にもう、心を動かされました。とにかくあかるいでしょう。透きとおっている。


宮沢賢治が生前に事実上の自費出版をした唯一の童話集『注文の多い料理店』(写真は復刻版)。

───「わたしたちは、氷砂糖をほしいくらいもたないでも、きれいにすきとおった風をたべ、桃いろのうつくしい朝の日光をのむことができます。」「けれども、わたくしは、これらのちいさなものがたりの幾きれかが、おしまい、あなたのすきとおったほんとうのたべものになることを、どんなにねがうかわかりません。」(『注文の多い料理店』序文より)

松田:私もあの序文は大好きです。……そういえば「アラユルコトヲ ジブンヲ カンジョウニ入レズニ」の絵を見たとき、ああ、もしかしたら、と思ったことがあるんですが……、絵の下のところに描かれているのは、これは、どんぐりですよね?

柚木:そう、あたり。

松田:「どんぐりと山猫」という童話の中で、「オレがいちばんえらい!」って、たくさんのどんぐりがワーワー言っている。あのどんぐりたちは自分を勘定に入れてばっかりなんですよね。そのどんぐりがパラパラと落ちている。そして、上に吹き出すように描かれているもの……これを見たときなんですが、私は、序文の中に出てくる氷砂糖を思い出しました。

柚木:ふむ、それもいいね。

松田:「氷砂糖をほしいくらいもたないでも、きれいにすきとおった風をたべ、桃いろのうつくしい朝の日光をのむことができます」という序の文と合わせてみると、この三角のきれいな色のものが「氷砂糖」――言いかえれば「財産」のような物を象徴しているんじゃないかというように思えた。あるいは、いやいや、この三角形の形こそが、日光や風を象徴しているのかもしれない、とも思えました。
……そういう風に思ってこの絵を見ていると、まさに、あの序の文にあるように、自然が与えてくれる透明な喜びこそを受けとろうじゃないかという、とってもポジティブな感じがしてきて、なんてすばらしい絵なんだろうと思ったんです。

柚木:絵の具に助けられているんですよ、みんな。色が思うように出て、透明感があって。ペンがいいところに溜まっちゃったりなんかしてね。みんな偶然だけれど。

───下描きはされるんですか。

柚木:下描きはしない。どうやって描こうかなとラフみたいなものは何度か描きますけどね。下描きの線をちゃんとトレースしたりすると線が止まって見える。よくないね。だから本番の紙に描くときは直接色をのっけます。ラフの鉛筆線が残っているところもあるけど、その線に特にしばられないで色をのせるから、ラフの線が下に見えてくることはあるけどね。
僕が使っているこの絵の具は、重なったところの色が流れない。つまり赤色描いて上から黄色を描いて、樺色(かばいろ)にしたりみかん色にしたりできる。だから紙はそれに耐えうるのを選ばなきゃいけない。きれいな色が出て毛羽立たない丈夫な紙が必要ですね。僕はフランスのアルシュという紙を使っています。

───水彩絵の具はどんなものをお使いになってるんですか。

柚木:木製の箱はイタリアのもの。黒い箱はフランスで買ったやつ。外箱が鉄でできているのか、すごく重いんだよ。お店の名前やメーカーなんかは、わからない。
今の、チューブに入ってる絵の具を僕は好きじゃなくてね。昔の絵の具をなんとかほじくり出して使っているけど、もう昔のような絵の具はなかなか売ってないんだね。あと数年でおしまい。ちょうどいいね。


フランス(上)とイタリア(中央)の絵の具。
『雨ニモマケズ』制作にはこちらの水彩絵の具を3つとも使用した。


黒い箱の中身。ソルボンヌ大学の向いの画材屋で購入したというこの絵の具は、ケースが鉄でできているのか、とても重い。

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柚木沙弥郎(ゆのきさみろう)

  • 1922年、東京生まれ。女子美術大学名誉教授。
    洋画家の父を持ち、東京大学で美術史を学ぶが、戦争で勉学が中断され、戦後、父の郷里である岡山県の倉敷にある大原美術館に勤務。そこで民藝運動を牽引する柳宗悦らと親交を持つようになった。その後、芹沢_介に師事し、型染めを手がける。
    布への型染めの他、さまざまな版画やガラス絵などの作品にも挑戦し、絵本やポスターの制作、装丁やイラストレーションなど幅広いジャンルで活躍。1958年に型染め壁紙がベルギーのブリュッセル万国博覧会で銅賞、1990年に第1回〈宮沢賢治賞〉を受賞。国内にとどまらず、2008年よりパリで個展を開催。2015年にフランス国立ギメ東洋美術館に多くの作品が収蔵された。

    絵本『魔法のことば』(エスキモーのことば 金関寿夫/訳 クラフトスペースわ)で1996年に〈子どもの宇宙国際図書賞〉を受賞。(同書は、2000年に福音館書店版が刊行された)『せんねんまんねん』(まど・みちお/詩 理論社)で2009年に〈産経児童出版文化賞美術賞〉を受賞。そのほかの絵本作品に『トコとグーグーとキキ』(村山亜土/作)『つきよのおんがくかい』(山下洋輔/作)『そしたら そしたら』(以上、福音館書店)、『雉女房』(村山亜土/作 文化出版局)、『ぜつぼうの濁点』(原田宗典/昨 教育画劇)など、多数。

松田素子(まつだもとこ)

  • 1955年山口県生まれ。編集者、作家。児童図書出版の偕成社に入社。雑誌「月刊MOE」の創刊メンバーとなり、同誌の編集長を務めた後1989年に退社。その後はフリーランスとして絵本を中心に活動。これまでに約300冊以上の本の誕生にかかわってきた。各地でのワークショップを通して、新人作家の育成にもつとめており、なかやみわ、はたこうしろう、長谷川義史など、多くの絵本作家の誕生にも編集者としてたちあい、詩人まど・みちおの画集なども手がけた。また自然やサイエンスの分野においても、企画編集、および執筆者として活動している。

作品紹介

宮沢賢治の絵本 雨ニモマケズ
宮沢賢治の絵本 雨ニモマケズの試し読みができます!
作:宮沢 賢治
絵:柚木 沙弥郎
出版社:三起商行(ミキハウス)
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