●大事なやつ、難しいやつは、いつも僕のところに持ってくるんだよ。
───そもそも、宮沢賢治シリーズのなかで「雨ニモマケズ」を柚木沙弥郎さんが描くことになったのには、どんないきさつがあったのですか?
松田:宮沢賢治の絵本シリーズ(ミキハウス)に『雨ニモマケズ』を入れるかどうか、実は決めていなかったんです。教科書的に使われる「雨ニモマケズ」には、なんだか「がまんしなさい」と言われているみたいだと感じるところがあったということもありますし、物語ではありませんし、絵本化の決心がついていなかったんです。
そんなところへ2011年の東北の震災があった。翌年、被災地の子どもたちを前に、賢治について話す機会をいただいて……、話す代わりに贈るものをと思って、賢治さんの言葉をあつめた手作りのファイルを作っていったんですが、私はその中に「雨ニモマケズ」の全文を、あえて入れなかった。入れたのは最後の言葉「ソウイウモノニ ワタシハナリタイ」という言葉だけで、その理由を子どもたちに話したんです(>>詳しくはこちらのインタビューをご覧ください)。そのときに考えたことを通して、「雨ニモマケズ」という言葉や賢治さんの祈りのようなものが、私の心の奥に素直に、すとんと落ちたんです。
柚木さんとは『魔法のことば』 『せんねん まんねん』と2冊の絵本でお仕事をしていましたし、正直に告白すると、90歳を越えられていることやお体のこと、柚木さんが精魂傾けておられた海外での作品発表に関わる時間のことなんかを考えたら、そんなところへ私が、一冊分の絵本の仕事をお願いして割り込んでもいいのかどうか……、勝手に遠慮する気持ちがあったんですね。
でも2013年に、世田谷美術館で開催された「柚木沙弥郎 いのちの旗じるし」展を見ているうちに……、つい最近製作された作品をふくめて何周もぐるぐる見てまわっているうちに、胸がドキドキしてきました。私は何を勝手に決めつけていたんだろう……と。いてもたってもいられない気持ちになって、展示室を出てすぐ、柚木さんに電話をかけました。「お願いしたいことがあります」と。そうしなくてはおれなかったんです。
具体的なことは、その後から考えました。そして、「そうだ! 『雨ニモマケズ』だ」と思いました。柚木さんとの仕事は『雨ニモマケズ』以外にないと思ったんです。
───柚木沙弥郎さんはなんとおっしゃいましたか?
松田:宮沢賢治シリーズの一冊を描いていただきたいと言ったとき、「でも、いいのはみんなもう他のひとが描いちゃったんでしょう」とおっしゃいました。それで「お願いしたいのは『雨ニモマケズ』です」って言いました。そしたら、にこっと笑って「残りものには福があるね」って(笑)、おっしゃいましたよね、柚木さん。
柚木:そう言った? いや、「残りもの」ってわけじゃないよね。松田さんはね、いちばん大事なやつをいつも僕のところにもってくるんだよ。(大事なやつは)いろいろあるんでしょうけどね。その中のどれか。いちばん難しいのを持ってくるのよ。
───それが柚木さんにはわかるんですか?
柚木:わかるよ。
松田:ええ、もちろん「残りもの」なんかじゃないです。私のなかでずっと腑に落ちなかったもの、それはきっとすごく大切で重要なことだったからこそ引っかかっていたものが、あるとき心の中にストンと落ちて、ああ、この言葉を絵本にしたい、そして、描いていただくのは、柚木沙弥郎さんだ、と思った。
『魔法のことば』のときも似た経緯でした。私は数年間、そのテキストを絵に描いてくださる方を探していたんですが、柚木さんの絵を見たとき、「この人だ!」と思ったんです。
まど・みちおさんの『せんねん まんねん』については、最初にお願いしてから絵本の形になるまで13年かかりましたね(笑)。最初は断られたんです、この詩を絵にするのは難しいよって。それなのに、あきらめの悪い私がずっとお願いしつづけていたら、「松田さん、執念だね」って柚木さんに言われて、「僕ももう80歳過ぎたし、役に立たなくちゃ……」と描いてくださることになりました。
●賢治の文章って、透きとおってあかるいでしょう。好きなんだよ。
───宮沢賢治作品を最初に描いたのはいつですか?
柚木:岩手県盛岡市にある光原社(賢治生前の童話集の発行元であり、現在は民芸品店と珈琲店になっている)に、もうお亡くなりになったけれど、及川四郎さんという方がいてね。彼は宮沢賢治が通った盛岡高等農林学校の賢治の1学年下の同窓生だったんだけど、その人から1969年に「注文の多い料理店」の絵はがきの絵を描いてくれって言われたの。それが最初。
もうあれから50年近くになるね……。こんど光原社の創業130年記念に、あの絵はがきを復刻するって言っていましたよ。
───それは楽しみです! 依頼されたとき、宮沢賢治を知っていましたか?
柚木:知っていたし読んだことはあったけど、読み流していたんだと思いますね。絵はがきを作るとなって、はじめて童話集『注文の多い料理店』をちゃんと読んで、いっぺんに好きになったね。
あの本の序の文にもう、心を動かされました。とにかくあかるいでしょう。透きとおっている。
───「わたしたちは、氷砂糖をほしいくらいもたないでも、きれいにすきとおった風をたべ、桃いろのうつくしい朝の日光をのむことができます。」「けれども、わたくしは、これらのちいさなものがたりの幾きれかが、おしまい、あなたのすきとおったほんとうのたべものになることを、どんなにねがうかわかりません。」(『注文の多い料理店』序文より)
松田:私もあの序文は大好きです。……そういえば「アラユルコトヲ ジブンヲ カンジョウニ入レズニ」の絵を見たとき、ああ、もしかしたら、と思ったことがあるんですが……、絵の下のところに描かれているのは、これは、どんぐりですよね?
柚木:そう、あたり。
松田:「どんぐりと山猫」という童話の中で、「オレがいちばんえらい!」って、たくさんのどんぐりがワーワー言っている。あのどんぐりたちは自分を勘定に入れてばっかりなんですよね。そのどんぐりがパラパラと落ちている。そして、上に吹き出すように描かれているもの……これを見たときなんですが、私は、序文の中に出てくる氷砂糖を思い出しました。
柚木:ふむ、それもいいね。
松田:「氷砂糖をほしいくらいもたないでも、きれいにすきとおった風をたべ、桃いろのうつくしい朝の日光をのむことができます」という序の文と合わせてみると、この三角のきれいな色のものが「氷砂糖」――言いかえれば「財産」のような物を象徴しているんじゃないかというように思えた。あるいは、いやいや、この三角形の形こそが、日光や風を象徴しているのかもしれない、とも思えました。
……そういう風に思ってこの絵を見ていると、まさに、あの序の文にあるように、自然が与えてくれる透明な喜びこそを受けとろうじゃないかという、とってもポジティブな感じがしてきて、なんてすばらしい絵なんだろうと思ったんです。
柚木:絵の具に助けられているんですよ、みんな。色が思うように出て、透明感があって。ペンがいいところに溜まっちゃったりなんかしてね。みんな偶然だけれど。
───下描きはされるんですか。
柚木:下描きはしない。どうやって描こうかなとラフみたいなものは何度か描きますけどね。下描きの線をちゃんとトレースしたりすると線が止まって見える。よくないね。だから本番の紙に描くときは直接色をのっけます。ラフの鉛筆線が残っているところもあるけど、その線に特にしばられないで色をのせるから、ラフの線が下に見えてくることはあるけどね。
僕が使っているこの絵の具は、重なったところの色が流れない。つまり赤色描いて上から黄色を描いて、樺色(かばいろ)にしたりみかん色にしたりできる。だから紙はそれに耐えうるのを選ばなきゃいけない。きれいな色が出て毛羽立たない丈夫な紙が必要ですね。僕はフランスのアルシュという紙を使っています。
───水彩絵の具はどんなものをお使いになってるんですか。
柚木:木製の箱はイタリアのもの。黒い箱はフランスで買ったやつ。外箱が鉄でできているのか、すごく重いんだよ。お店の名前やメーカーなんかは、わからない。
今の、チューブに入ってる絵の具を僕は好きじゃなくてね。昔の絵の具をなんとかほじくり出して使っているけど、もう昔のような絵の具はなかなか売ってないんだね。あと数年でおしまい。ちょうどいいね。