●鹿がそばに近寄ってきているような感覚
───『鹿踊りのはじまり』を描くまで、宮沢賢治の作品を読んだことはありましたか?
子どものときから、何度か宮沢賢治のおはなしを読んだことはありましたが、深く読んでいたわけではなかったと思います。松田さんからお話をいただいて、実際に描きはじめるまでは、常にどこか近くに、賢治さんがいるような感じでした。ときどき賢治さんのことを思い出しては『鹿踊りのはじまり』を読み返したり、他の方からの依頼で『グスコーブドリの伝記』の演劇ポスターを描くことがあったので、『鹿踊りのはじまり』以外の作品も読んだりしていました。
───ミロコマチコさんの動物の絵にはファンも多いと思いますが、鹿の絵を描くのはどうでしたか?
私は音楽とコラボレーションしてライブペインティングをすることがよくあるんですけど、鹿は駆けるイメージが音楽的だなと思っていて、駆けるような音楽が鳴り出すと、音に影響されて、私の絵の中に鹿がやってくることはあります。
たまたま絵本を描き始める少し前に、北海道の知床でエゾシカを見る機会があって「ああ、鹿ってこんなふうにくつろぐんだ」と思ったり、鹿の存在が、自然にちょっとずつ、近寄ってきているような感覚はありました。『鹿踊りのはじまり』はおそらくホンシュウジカなので、種類は少しちがうと思うんですけど。
松田:私は編集者としてミロコさんに絵の制作をお願いしたあと、ミロコさんの展示があるたびに、絵を見に行って、その中に鹿が描かれていたりすると、ああ、今描く準備をしてくれているなと勝手に思っていました(笑)。
本当のところ、このおはなしを絵本に描くのはむずかしいと思うんです。だって出てくるのが鹿ばっかりでしょう(笑)。鹿と、手ぬぐいと、風景と……。他の動物が出てくるわけでもないし、嘉十がお団子を食べる場所も、残していく場面も固定されていて変わらないですよね。絵本にするにはかなりむずかしい作品のひとつだと思います。
───そもそも、松田さんがミロコさんにお願いしようと思ったきっかけは、何だったのですか?
松田:私が最初にミロコさんの絵に気づいたのは『ホロホロチョウのよる』(港の人)です。まだ絵本『オオカミがとぶひ』が出る前ですね。『ホロホロチョウのよる』は、ミロコさん最初の著作であり、初画文集です。絵を見たとき、「あ、この人に賢治の世界を描いて欲しい」と思いました。
この人は誰だろうと思って、ミロコさんが『四月と十月』(*)という雑誌に絵を描いていることを知り、そちらの絵も見ました。
実際にお会いしたのは『オオカミがとぶひ』が出たあとでしたが、それからのミロコさんはご存知の通りの大活躍。まさに時代の寵児になった。とはいえ、実際に『鹿踊りのはじまり』にとりかかるまではおそらく、ミロコさんの心の中では長い助走期間があったと思います。
*画家・牧野伊三夫さんが編集長をつとめる年2回発行の美術系の同人誌。
───実際に描きはじめてからは、どれくらいの期間で完成したのですか?
ラフを考えはじめたのは今年に入ってからで、本描きに入ってからは10日間くらいですかね。5月の連休が明けて半ば頃には描き終わっていたと思います。
───1日に、1場面か2場面は仕上げるペースですか!? 早いですね!
実際は1枚も描けない日もありますし、一気に3枚描ける日もあります。何枚も描き直して、あ、やっぱり最初の絵のほうがよかったなと戻ったりすることもあります。
───本描きに入る前は、ミロコさんと松田さんとでラフを検討されたのですか。
松田:実は、私があれこれ細かいことを言うことでミロコさんの絵の世界が勢いを失ってはいけない、と思っていたので、いろいろ考えた挙句に、これは私も腹をすえなくていけないと思って、「もしラフを見せたくなかったら、見せなくてもいい」とお伝えしました。ミロコさんに賭けようと思っていましたから。でもミロコさんの方から「いえ、(ラフを)見せます」と(笑)。
───作家が編集者にラフを見せなくていいと言われるなんて……(笑)。結局、ミロコさんは松田さんにラフをお見せしたんですよね。ラフから大きく変わったところはありますか?
場面の展開はほとんど変わらないです。ただ、鹿の描き分けをどうしようかなと思っていて、それは本描き直前に変えました。
最初は鹿を、体の色で分けていたんですけど、だんだん情景の美しさに気づくにつれて、鹿の色が気になってきました。あまりに現実の鹿と色が違うとファンタジーっぽいというか、やはり鹿らしい元の茶色がいいなと思って、「変えます」と松田さんにご連絡しました。それが本描き直前だったと思います。
それから6匹の体の色は同じにして、目の色で区別することにし、お調子ものの鹿は耳がちょっと垂れてるんじゃないかとか、飛び上がって逃げていく恐がりは顔にぶち模様を描こうとか、ひげやツノの特徴で描き分けをしていきました。
───松田さんは、ミロコさんのラフを見たときにどう思われましたか?
松田:私も鹿の色づかいについてはちょっと気になりましたが、ミロコさんが描く世界に賭けようと思っていたので、鹿の色を変えることについては特に何も言いませんでした。でも、結果として今のような描き方になってよかったと思います。ミロコさんの判断は正しかった。
ラフのときから場面展開は見事で、私から言ったのはちょっとしたところだけです。
たとえば、嘉十が鹿の気配を感じる場面。「鹿のほうをのぞき見ようとする、そんな雰囲気をもうちょっと出せる、嘉十の顔の角度はないでしょうか?」とお伝えして、ミロコさんが少し角度を変えてくれました。
頭の笠をちょっとすげるように手をかけて、黒目がむこう側を見ているでしょう。そうすると読者の私たちも、「嘉十は何を見ているんだろう」と思って、次へページをめくりたくなるんじゃないでしょうか。嘉十が見ようとしているものを、嘉十といっしょに見ようとすることで、読者は引き込まれていくと思います。
松田:その他にもいくつかありましたが、どれもちょっとしたことでしたし、ミロコさんもすぐに納得してくださったので、問題ありませんでした。 嘉十の耳に、鹿の語り合う言葉が聞こえるようになる場面を見てください。ここは本当にすばらしいと思いました……。
───鹿の言葉が聞こえてきて、よく聞いてみると鹿が「おれ行って見で来べが」「うんにゃ、危ないじゃ」「なじょだた。なにだた、あの白い長いやづあ」「縦に皺の寄ったもんだけあな」と、嘉十がうっかり落としてきた手ぬぐいについて語り合っているんですね。鹿が入れ替わり立ち替わり、手ぬぐいの匂いをかいだり、鼻面をうずめたり、なめたりする場面はとてもおもしろかったです。
ピンクや紫の摩訶不思議な模様の背景が、鹿の心境に呼応するように、だんだん激しく乱れていくので、別世界にまぎれこんだような気持ちになりました。このピンクや紫はどのように出てきた色なのですか?
ぜんぶの鹿の色を茶色にすることにして、模様やツノの形で描きわけることにしたあとですね。最初は周囲にもっとちがう色をつかったりしていろいろ試したんですけど。だんだんピンクや青や赤紫色といった色が基調になっていきました。
松田:この色調は、ちょっと不思議できわどい色調でもあります。それが結果的に、ある意味、幻想性や鹿たちが抱いている不安感もにおわせてくるようにも、私は感じています。ミロコさんが描いた『鹿踊りのはじまり』は、嘉十が不思議な世界に入ってからの、空気感、幻想性、躍動感がすばらしいと思います。
こんな絵本ができたことを、賢治さんもきっと喜んでいるんじゃないかな……。