わたしは今日も走ります。どこかから来て、どこかへ行く人たちを乗せ、毎日同じ時間、同じ道を……。
ソウルを走る地下鉄2号線による語りで始まるこの物語。導入、モノクロームで描かれるのは、どこででも見かけるような見慣れた景色と乗客たち。けれど、タイトルが登場し、地下鉄が乗客について語り出すと、途端に画面は鮮やかに彩られ、一人一人の背景やかけがえのない日常のひとこまが見えてくるのです。
改札を猛ダッシュで駆け抜けていくのは、かけっこの選手だったサラリーマン。潮のかおりを漂わせているのは、娘が好きなタコと娘の娘が好きなアワビを包んだ荷物をぎゅっと抱える海女のおばあさん。あんなにこわがりで泣き虫だったユソンはふたりの子どものお母さんになり、久しぶりに見かけたナユンは受験真っ最中。物売りのおじさんが乗り込んでくると……。
トンゴトン トンゴトン
ゴトン ゴトン ゴトン ゴトン
さっきまで、名もなき乗客だったはずの隣人たち。いつの間にか、その表情や服装、どこに向かっているのか、誰に会いに行く途中なのか。家族は? 友だちは? そんなことまで気になり始めてしまっているのです。
大都市ソウルの地上と地下の風景を、端正な水彩画で魅力的に描きだしているのは、韓国の絵本作家キム・ヒョウン。本書は韓国内で数々の賞に輝いたほか、米ニューヨークタイムズ紙が選ぶベスト絵本(2021年)、英ガーディアン紙が選ぶベスト絵本(2022年)にも選ばれています。
ここかしこに流れていく、目には見えないひとりひとりの物語。やわらかい午後の日差しが包み込みます。
(磯崎園子 絵本ナビ編集長)
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