小三の亜澄は母と二人暮らしをしている。亜澄が7才、弟の理央が5才のときに、両親が離婚して弟が父に引き取られたからだ。コンビニのパートで生計を立てる母とのぎりぎりの生活を、淡々と受け止めている亜澄だが、ふとしたときに弟の理央の声が聞こえてくるような気がしていた。ある日、亜澄は駄菓子屋のおじさんに呼び止められ、幸運を呼ぶと評判の看板猫のマルを4.5日預かって欲しいと言われる。
「子供のころに、言葉にできなかったたくさんの気持ちが、言葉になって、ここにある。」江國香織氏絶賛!
岩瀬成子という作家は知っていた。だが、心の中で敬遠する気持ちが働いてなかなか読めなかった。
読み始めてやはりというのか、落ち着かないざわざわした感じが心を占めてきた。
主人公の亜澄が母に一緒に死のうかと言われる書き出しからも覗える貧困家庭。一体この子はどうなってしまうのか?
大人は知っているのだろうか?子どもが実はとても大人を気遣って生きていることを。
大人は知っているのだろうか?子どもにも土足で踏み込まれたくない気持ちがあるということを。
大人は思い出すことがあるのだろうか?かつて自分が子どもだったということを。
読み終わった時、ケストナーの『飛ぶ教室』の書き出しを読み返していた。
次の日もう一度『マルの背中』を読み返してみた。そうして子どもの頃思っていたことを思い出した。大人になっても子どもの気持ちを忘れない大人になりたいと思っていたことを。
子どもにも子どもの悲しみがある。子どもにも子どもの心の世界がある。
読みながら私に問いkかけてきたのは、心の奥に住んでいる自分自身の子どもの心だったのかもしれない。
すごいなぁ、岩瀬成子。こういう作品書く人なんだと打ちのめされ、他の作品も読んでみたくなった。 (はなびやさん 50代・ママ 男の子15歳)
|