うごく! しゃべる! ぬりえーしょん 恐竜 (小学館集英社プロダクション)
お子さまの塗ったぬりえが、アニメーションになる!フランス生まれの画期的なぬりえシリーズ!
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インタビュー
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2016.05.19
空と地面の「しーん」とした空間に、「もこ」、「もこもこ」……と何かがふくれあがってくるふしぎな絵本『もこもこもこ』。発売当初は「全く売れなかった」と谷川さんが振り返るこの作品も、100万部を超えるロングセラー作品となりました。今回は、谷川俊太郎さんに元永さんとの出会いや、『もこもこもこ』が生まれた経緯など、いろいろなおはなしを伺いました。
みどころ
「しーん、もこもこ、にょきにょき」とふくれあがったものは、みるまに大きくなってパチンとはじけた。詩人と異色の画家がおりなす不思議でおかしな絵本の世界。
この書籍を作った人
1931年、東京に生まれる。高校卒業後、詩人としてデビュー。1952年に第一詩集『二十億光年の孤独』(創元社)を刊行。以後、詩、絵本、翻訳など幅広く活躍。1975年日本翻訳文化賞、1988年野間児童文芸賞、1993年萩原朔太郎賞を受賞。ほか受賞多数。絵本作品に『ことばあそびうた』(福音館書店)、『マザー・グースのうた』(草思社)、『これはのみのぴこ』(サンリード刊)、『もこもこもこ』(文研出版)、「まり」(クレヨンハウス刊)、「わたし」(福音館書店)、「ことばとかずのえほん」シリーズ(くもん出版)他多数の作品がある。翻訳作品も多数。
この書籍を作った人
まずは谷川俊太郎さんの貴重な読み聞かせをお楽しみください。
───『もこもこもこ』の絵本が生まれるきっかけを教えていただけますか?
元永定正さんのことは、以前から知っていました。彼は関西の前衛アートのパイオニア的集団「具体美術協会」に所属していて、その頃から、国際的な評価を得ていました。そのアートがすごく面白くて、注目していました。でも、直接面識はなくて、出会ったのは1966年。フォード大学の助成で中堅のアーティストを一年間、ニューヨークに留学させるという時期があったのですが、その中にぼくと元永さんがいました。お互いに30代と40代くらいですか。ぼくたち夫妻と元永さん夫妻は同じマンションの上と下の階に住んでいて、よくお互いの家を行き来していたんです。元永さんの部屋はふしぎなオブジェやアートがたくさんあって、それに題をつけたりして遊んでいました。
───元永さんはどんな方でしたか?
見た目が日系ロシア人のようでね、彫りが深くて、背が大きくて、外国人みたいなの。でも、しゃべる言葉は生粋の関西弁(笑)。そのギャップが面白かったですね。部屋の中に三角形の小さなテントの様な立体が並んでいてね。何で作られているのかを聞いたら「ワンタンの皮で作った」って言うんですよ。元永さんの作るものはけったいなものじゃないといけないと思っていたから、すごく納得したのを覚えています。
───そのときに一緒に絵本を作ろうというはなしになったのですか?
いいえ。絵本を作るはなしが出たのは日本に帰ってきて、2、3年も経ったころだったと思うのだけど、出版社から絵本の依頼があったんです。それで、2人で絵本を作ることになったんだけど、このときのやりとりがベースにあったからできたと思います。
───ニューヨークでの出会いが絵本を作るベースになっているなんてオシャレですね。『もこもこもこ』は最初に谷川さんの文章があったんですか?
40年近く前のことですからね、詳しいことは忘れてしまったのですが……。たしか、元永さんがラフのようなものを描いてくれて、それに言葉をつけていくような、お互いにやり取りをしながらおはなしを作っていったと思います。元永さんは言葉が無くてもストーリーが進むように絵を描いてくれたので、言葉をつけるのは本当に楽だったんですよね。
───ラフのときはモノクロでやり取りをされていたと思うのですが、実際に原画を見たとき、この鮮やかな色彩を見てどう思いましたか?
元永さんの作品はニューヨークで出会った前から見てきていましたからね。特に驚いたり意外だったってことはなかったと思います。ただ、やはり元永さんらしいおもしろい絵だと感じました。
───谷川さんのオノマトペと元永さんの絵がとてもピッタリ当てはまっているのが、この作品の魅力のひとつだと思います。
はじめは全然売れなかった本なんですよ。ぼくも売れないと思っていましたから、出版社は良く出したなぁと思いますね(笑)。絵本を手にした大人たちは最初、どうやって子どもにこの絵本を与えたらいいか分からなかったんだと思うんです。でも、本を読んだ子どもたちは大喜び。あまりにも喜ぶもんだから、だんだん受け入れられていきました。正直40万部に達したときは、信じられなくてすごくビックリしましたね。今、100万部を超えているでしょう。こんなに前衛的な本が100万部を超えるなんて、すごい事だと思っています。
───『もこもこもこ』は特に大人よりも子どもに支持されている作品だと思います。これほど子どもたちに受け入れられている理由はなんだと思いますか?
元永さんの絵が基本的に抽象絵画なんですけど、すごく生きもの的な性質を持っていますよね。形の表れ方や動きが小さな子どもでも納得するような具体性を、抽象的な中に秘めています。それと、オノマトペは子どもの体に直接結びつく表現なんです。お母さんたちも読みやすいでしょうし、声に出して読めば、子どもも反応すると思います。
───先ほど、読み聞かせをしていただきましたが、「もこ」「ぷー」「ギラギラギラ」など、あんな風に読みかがができるんだ! と聞いていてとても引き込まれました。
ぼくは講演会やイベントで頼まれて読む子ことが多くて、そうしているうちに、ある程度、読み方の流れができてきたと思います。でも、いつも同じに読むことはなくて、会場の雰囲気や、読者の方の反応を見て、読み方を変えることはしてきいます。なので、結構即興で考えているんですよ(笑)。
───即興! ますますすごいですね。
日本語は特にオノマトペが豊富な国なんですよね。『もこもこもこ』は、フランス語や韓国語版も出ていますが、それらは、ぜんぜんオノマトペじゃないんですよ。どういう言葉が使われているのか、作者としては気になるところです。
───その貴重な海外版を見せていただいているのですが、それぞれの国の言葉の違いが分かって面白いですね。
文字の大きさや配置なんかも微妙に違いますから、見ていてもなかなか面白いですよ。
───日本では絵本の文字は絵を邪魔しない位置だったり、上の方にあることが一般的だと思います。でも、『もこもこもこ』では、文字が絵に近いところにあって、文字も含めて絵の一部のように感じました。出版された1970年代当時、こういうデザインは新しかったのではないですか?
そうですね。ぼくはデザインとか印刷とかについては、全く分からないので、元永さんが考えて、出版社に指定していたのかもしれませんね。
───谷川さんは、絵本の仕事以外にも元永さんと交流はありましたか?
ニューヨークでの交流以外はそれほど密に会うことなどは少なかったのですが、後年、僕が朗読して、ジャズピアニストの僕の息子(谷川賢作さん)が音楽、元永さんが舞台の上でライブペインティングをするイベントをやったことがあります。そのとき、舞台上で元永さんが、紙の貼り方に注文を付けていたのを覚えています。舞台を一緒にしたことで、彼がナンセンスなものをいかに真剣に描いているかがよく分かりました。意味のあるものを描くほうがやさしいんですよね。ナンセンスなものは本当に美しくなければいけない。さらっと描いているように見える絵かもしれませんが、元永さんの絵は技術的にもすごく手が込んでいるんですよ。
みどころ
元永の斬新でダイナミックな絵と、谷川の洗練された言葉が見事にとけあって、新しいタイプの絵本ができました。絵と言葉の宇宙へと旅立ってください。
大人気絵本『もこ もこもこ』の作者二人がおくる待望の絵本です。新境地を切り開くこの絵本は、子どもから大人まで読者の心に深くしみわたることでしょう。
───『もこもこもこ』が出版されてから、30年以上たち続編となる『ココロのヒカリ』が出版されました。この作品も『もこもこもこ』と同じように、元永さんのラフから谷川さんが言葉をつけて作っていったのですか?
そうだったと思います。元永さんは本当に前衛美術家としていろいろな活動をされていた方だから、ぼくも絵を見て言葉を考える方が良かったんですよ。
───『もこもこもこ』と比べて文章が長く、オノマトペではないなど違いがありますよね。
絵本には音読に向いている作品と、黙読することが向いている作品がありますが、『ココロのヒカリ』はどちらかというと黙読に向いている作品なんです。
───文字の位置もすごくこだわっている様に感じました。
この作品のデザインは、元永さんの奥さんで、芸術家の中辻悦子さんが関わっています。彼女は『ココロのヒカリ』以外にも元永さんの絵本やアートなど、多くの作品に関わっているんです。
───『もこもこもこ』とはまた違う、文字のデザインだと感じたのは中辻さんがデザイナーとして参加されているからなんですね。ふたつの作品の違いを伺うことができて、とても納得しました。今日は本当にありがとうございました。
インタビュー・文: 木村春子
撮影:所靖子