1954(昭和29)年3月、ビキニ環礁で、一隻のカツオ漁船が水爆実験にまきこまれました。世界で初めて水爆の被害を受け、数奇な運命をたどった第五福竜丸のドラマチックな一生を描きます。
第5福竜丸の記念館に行ったとき、展示の隅に置いてあった本の一冊。
第5福竜丸は日本に戻ってから、東京水産大学の練習船となり姿を変えた後廃船となって、ゴミの島に放置されていた。
木造船が鉄で被われ当時の姿ではないことと、やはり犠牲者となった乗組員に気持ちは向かうので、息子が選んだ絵本も隣にあった「ここが家だ」だった(外国人による第五福竜丸の絵本です)。
展示館いっぱいに存在している船よりも、様々な展示品や解説パネルに関心が強かった。
しかし、死んだ人はそこにはいないけれど船はそこにいる。
船も時代の犠牲者だと思ったら、この絵本もとても大事な物に思えてきた。
戦後が始まる時代に、カツオ漁船として完成した船。
マグロ漁船として、改装された船。
船は働くことによって生き生きしてくるものだろう。
その船が水爆実験で降り注いだ死の灰を受け、船員も守れなかったことは第5福竜丸にとっての不幸だった。
帰ってきて、ガイガー・カウンターが振り切れるほどの放射能。
乗組員も収穫したマグロも、そして船も厭わしいものであったに違いない。
それぞれが犠牲者である。
そのことを考えなければいけない。
第5福竜丸は様変わりして練習船となった。
厭わしい船であっても、それだけ素晴らしい素材だったのだろう。
しかし、廃船となって放置される。
私たちは、水爆の恐ろしさを知るとともに時代の流れを学ばなければならない。
第5福竜丸が放置されたのは高度成長期に排出されたゴミを東京湾で放置したゴミの島である。
その島が、今は夢の島として様々な施設、住宅が立ち緑に包まれた夢の島となった。
そして、さらに沖まで埋め立てられてウォーターフロントを形成している。
時代の流れである。
歴史と時代を伝える場所。
それが第5福竜丸展示館。
ディズニーランドや、葛西臨海公園が側にありながら、展示館の中にはここを訪れた小中学校の見学者、修学旅行者のメッセージが重ねられている。
木版画で骨太の絵本。
漁船としてのホコリを持ったように思える絵本です。
第5福竜丸の数奇な運命とともに、子どもたちに伝えたいメッセージがいっぱい詰まった絵本です。 (ヒラP21さん 50代・パパ 男の子12歳)
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