昔、海の真ん中の島に鬼が住んでいて、ひとりぼっちで寂しがっていました。 ある嵐の晩、沖を通りがかった漁船が、遠くに光る鬼の目を家の明かりと見間違えて、助けを求めて鬼の島へやってきました。 鬼はうれしくなって漁師たちの前に現れましたが、漁師たちは肝をつぶし、命乞いをします。 人間たちと一緒に暮らすにはどうしたらよいかを尋ねる鬼に困惑した漁師たちは、自分たちの島は狭いので、鬼が島をひっぱってきたら一緒に暮らせるのだが、と、口からでまかせを言いいます。 これを真に受けた鬼は、島を引っ張って海を歩き、人間たちの島へと行くのですが・・・。
鬼は何の悪いことをしたわけではなく、ただ寂しくて誰かと一緒にいたかっただけでした。 素直で純朴な鬼は、漁師たちに言われたとおりに島を引いて歩き出します。 行く先々の村で、鬼はだまされ、厄介払いを受けますが、それでも鬼は一緒に暮らしてくれる相手を探して島を引くのです。 人間たちの卑怯な振る舞いに怒りを感じますが、人間たちとて家族を守らなければならず、鬼と一緒に住むわけにはいかないのです。鬼の報われない想いに、せつなく胸が詰まります。一方的にどちらが悪いということでないところに、このおはなしの悲しさがあると思うのです。
このおはなしは、作者山下明生氏のふるさと、広島県の能美島の近くにある敷島という無人島にまつわるいいつたえを元に作られています。鬼の引っぱってきた島だから引島、それが敷島になったそうです。作者自身が子どもの頃、誰にも遊んでもらえず感じた孤独、それがこのおはなしのベースになっていて、単なる民話ではない深みを感じることができるのでしょう。
読む者の心に問いかけ、考えさせ、成長させてくれる、素晴らしい名作です。
(金柿秀幸 絵本ナビ事務局長)
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人間と暮らしたいと、すみかの島をひっぱって 鬼が村へやってきたが、こわがって誰も遊びません。しかたなく、鬼は隣村へいきますが?
【田中パパ/パパ’s絵本プロジェクト】 読み進むうちに、怒りとやるせなさで段々と声に気迫がこもってしまう絵本。スタインベックの「二十日鼠と人間」じゃないけど、純朴なものに対する世間の冷たい仕打ちに憤りつつ、それでも何度も読んでみたくなる絵本。お父さんの低くて、静かな声で読むととても効果的だと思うよ。 人間ってずるいなぁと思えば思う程、鬼が不憫でならなくなる。かわいい、とか楽しいとか、ためになるとかじゃなくて、理不尽なこと、納得できないことが燻り続けるような絵本がもっともっとあってもいい、って思う。
友達との経験値が増えた娘に再読。
ワクワクして聞いていた娘、だんだん静かに……詠み終わっても静かなので目をやると、「もう、なんて悲しいお話なん。涙が出ちゃったやん」
いや〜、「これを読んで『よくやった、おじいさん!』と思う人だっているかもよ」と話したら、「えぇぇ、そんな信じられへん! だってひどいやん!」とお怒り。
よく育っておいでです。
絵本から寝室までゆっくり立ち戻って、じっくり絵を眺めて反芻していたので、昔話における鬼の存在について話しました。
本当に人間を食らう化け物ではなく、忌み嫌われる者、集団と少し違っているがためにのけものにされた者という描かれ方が多いということを。
少しオマセな小2の心に、いろいろいろいろ呼び起こしたようです。
せめて『泣いた赤鬼』のように、同属の友達がいたらよかったのになぁと話し合いました。
うん、友達との関りがややこしくなる3〜4年生からどうでしょう。
ようやくグレーな終わり方の話が楽しめるかな。「おにたのぼうし」いくぞー。 (てぃんくてぃんくさん 30代・ママ 女の子8歳)
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